軽い振動で我に返ると、背後に気配を感じて振り向いた。
「元首、まだここに…」
ドルケニだった。なぜか不安そうな顔でそわそわしている。
「戻ってきたのか。寝ていた方がよくはないのか?」
「えっ?何を…」
「この期に及んで、隠さなくても。いったいいつからだ?」
彼が病気を患っていることは母親から聞かされていたが、これまで敢えてそのことには触れなかった。
「2公転日ほど前から。」
「教えてくれればよかったのに。と言っても、話をすることはできなかったな。痛むのか?」
「いや、徐々に細胞が腐敗していくので、それほど強い痛みでは。」
「そうか…でもその我慢から、あと少しで解放される。」
「もとはと言えば、私が弱かったから。」
「そうじゃない、けして…。」
振り向いたその顔は、元首のものから柔らかな女性のものに変わっていた。
「あなたじゃない。責任があるのは、頑なになっていた私。」
後ろ手で組まれていた手は、いつしか身体の横で強く握りしめられていた。一旦床に落とされていた視線をあげながら、マチスは自分をそっと抱いた。
「教えて。私は間違っていたの?民の事を思い、皆の繁栄を願って身を粉にしてきたつもりなのに、あんな風に思われていたなんて。」
「私には何も…ただ、あなたは自分のなすべき事をわき目も振らずやってきた。自分が正しいと思う事を、自信をもって批判を恐れずに。そう、昔からこうと決めたら人の言う事は聞かなかった。だが、政は一人でやるものではない。他人の意見を心がけて聴く必要があった。賛同者が多ければそれでいいだろう。しかし重要なのは反対意見を言われた時だ。意に沿わぬと切り捨てるのか、方針に修正を加えるのか。」
「他人の意見を聞かなかったのは、判断基準が揺らぐのを恐れたから。誰かが強引にでも引っ張っていかなければ、多民族で構成されていた故郷は治められなかった。私だって誰かににすがりたい時もあった。でもそれは弱さ。元首としてはいつでも…」
「あれを…美しい。まるで玉石のようだ。」
いつになく弱気な彼女の言葉に、戸惑った。いや、そのような言葉は聴きたくない、というのが本音だった。彼女にはいつも威厳に満ちていてもらいたい。民を引っ張っていく強い指導者でいてもらいたい。その手助けをするのが、家族を省みなかった自分ができるせめてもの償いと考えていた。
「よく見えてきた。…食物があんなに育っている。背の高いもの、水の中にも。」
「あれだけあれば、子供達を飢えさせることなく育てられただろうに。」
「すまない。私のせいで…」
すでに船窓には、地上を動き回る生き物がはっきり映し出されていた。
「とうさん!」
胸元に飛び込んできたマチスの声を最後に、すべての感覚が消えた。

はじめは一部の間での噂話でしかなかった。しかし夜は月を、昼は太陽を時折横切る物体を観測できるほど科学が進むと、人々の間で色々な憶測が流れた。拍車をかけたのは、宙を廻る観測船からの映像が公開され、どうやら大型の船のようだと言われたことだ。一説では、13,000年以上前からこの星の周りを廻っていると言う。

「ここに押し込まれ打ち出されてすぐ船は土地とまともにぶつかり、みるみる黒い煙が土地全体を覆っていった。あれではだれも生き残ってはいまい。つまり、我々の種で生き残ったのは俺だけということだ。あれだけ嫌っていた元首の事でさえ、思い出すと涙が出て来る。ドアを閉める間際に聞いた博士の言葉が耳に残っている。」
『我々の体はあの土地の一部となる。しばらくは大変な状況になるだろうがその行く末を見守ってほしい。』
「 俺が今いるのは小さな救命船。自力で航行することは出来ず、土地の周りを衛星のように回っているだけだ。しかし、食料は十分あるし長期冬眠装置もある。そこで俺は5公転日かかって装置を改良し、10の6乗公転日ごとに覚醒するように定めた。そしてそれから7自転日起きて土地を観察し、博士の遺言を実行すべく地上を観察することにした。」
『君の言うことは分かるが、必ずしも同じ過ちを繰り返すとは限らない。我々の種族を滅ぼす権利は誰にもないのだよ。だからこの土地で子孫を復活させてもらいたい。しかしそれが不可能な状態が続くようなら、いっそ土地を破壊して一からやり直した方がいいだろう。その判断は君に任せる。』
「俺に渡されたのは二つの種。赤い種〝根絶″と空色の種〝発育″。酷な話だ。この俺に神もどきの事をさせようとは。」
『赤い種は、どこに打ち込んでも、土地を完全に破壊するだけの力がある。空色の種には、生物の能力を飛躍的に伸ばすことができる薬剤と、われわれの幹細胞が入っている。もし見込みがありそうな生き物がいたら、出来るだけ近くに落としてやってくれ。』
「しばらくは土地の様子をうかがう事が出来ないほど煙が立ち込めていた。しかし装置を組み戻していたあるとき、土地の上を器用に動き回るちっぽけな生き物がいることに気付いた。やつらの体を借りれば、われわれの種族を復活させる事ができるにちがいない。そう考えた俺は、空色の種を奴らのすぐそばに打ち込んだ。うまく作用してくれることを願いながら、次回の覚醒を楽しみに眠りについた。ところがどうだ!何度覚醒しても我々のような姿の生き物は現れず、65回目に覚醒したいま目の前に広がっているのは俺たちが最後に観た故郷の姿そのものだ。ただその世界は嘴のないつるりとした顔の奴らに牛耳られ、本来支配者となるはずだった子孫達はちっぽけな姿でガアガアと鳴きながらそいつらのそばを飛びまわっている。きっとあのとき見た原生種が、俺のせいで異常進化をしてしまったんだろう。ああ、こんなことになるんだったらあの時赤い種を選ぶべきだった。」
しばらく拳を握りしめていたが、やがて〝反逆者〟は決意したかのように顔をあげ鋭い爪の3本指で赤い種を射出機に入れながら呟いた。嘴の左側が笑っている
「・・・ならば今。」                         了