「違う!そういった肉体的なものが先じゃなくて、心がまずあるんだ。好きでたまらないから相手の事をもっと知りたいと思い近付き、これ以上は近づけない距離が結びつきなんだよ。」
そう聞くと、体全体を伸ばし、顎を突き出して言った。
あいつだ。足元が黄色に変わった。
「詭弁ってもんだろ、そらぁ。」
あきれた様子で、いつの間にか現れた椅子に足を組んで座った。
「あのなぁ、どんなにかっこつけっててもな、男なんてなぁ一皮剥けばみんなおんなじさね。俺は奴さんと違って上品な表現はできねえし、女が男に対して不信感を募らそうが知ったこっちゃねえ。いいかぁ、男っつーのは、己が一物をメスの花芯におっ立てたくてたまんねえのよ。それこそがオスってのの、役割だろーが。しかもだ、困ったことに人間には発情期ってもんがない。だからこんなに増えちまって、住処たる地球を食いつぶそうとしちまってる。ま、このことはまたの機会に話すっけどよ。つまり俺がいいたいのは、子孫繁栄の為の種蒔きこそが、雄に課せられた責任だってことさ。」
なんと即物的な。話し方も気に食わないが、表現があからさま過ぎる。〝それ〟しか男が考えていないなど、低俗極まりない話に反論もしたくない。半ば呆れて見つめていると、足元がマゼンタに変わった。
「話は戻るが、あんたが前回言ってた〝自分の取った行動への正当な評価〟たあ何だ?」
再び頭をかしげ背を丸めると、怪訝そうに訊いた。
「それは…自分の取った行動に対して、公正な目で判断した評価を第三者がしてくれると言うことだ。」
「公正な評価を受ける?ふん、それも先程あの野郎が言った彫刻家レベル。」
椅子から立ち上がり、腕組みをして現れたこの男は、まあ言ってみれば悪人になろうと努力しながらなりきれていない、半悪人と言うところか。
「君が受けたい公正な、いや正当な評価とは誰あろう君が作り出したものだ。他人様にはわかるまい。しかもだ、君が良かれと思った行動が相手にも良いものだとなぜ言い切れる?」
自説に酔うような口調で、ゆっくりと左手へと場所を移した。シアンがその歩に従う。
「相手が楽になるにはどうしたらいいか考え、自分のできる範囲のベストな方法をとったまでだ。助けてあげたんだから、いい行いだったに違いないだろう?」
「へっ、いい行いを取ったってのかい?いい行いをしてやったんだから、当然相手は喜びあんたに感謝し、あんたは嬉しい?」
人から感謝されて嬉しくない人間などいやしまい。どこまでヒネたマゼンタ野郎だ。
「ヒェッヒェッ…、自分が良かれと思う、ゆえに他人も良かれと思う。誰かの言葉に似ちゃあいるが、レベルが違んじゃねえかい?存在を疑っているという行為は、つまりそうしている自分が存在していることの証だぁ。この論理は納得できたとしても、自分が良いと思うことは他人にとっても良い事に違いない、つうあんたの論理は、単なる独りよがりでおせっかいだ。違うか?」
私に向かって突き出した指は、興奮のためか震えている。
「そ、そんなことはない。正しいか正しくないかは、考えなくてもわかること。社会通念、いや、一般常識の中で判断されるのだから。」
「常識から判断?じゃあ常識って何だ? あくまで特定の環境における、複数の〝個〟の公約数だろ。そんなもなぁ、時と場所によって変わるんじゃないのかぁ?」
「おっと、付け加えさせてもらおう。よく聞きたまえ。先ほどあの野郎は『考えるという行為自体が、自分が存在していることの証である』、と言った。確かに存在してなきゃ考えることはできまい。しかし、自分が存在していると確認したのは誰でもない君自身だ。果たして。第三者は君の存在を認めているのだろうか…理解できるかね?」
さも勝ち誇ったように話す口ぶりはまさに悪人のようだが、残念ながら声が上ずっている。誰かの受け売りか?所詮この男は小物だ。
「だから自分が正しい、正しくないと判断したところで、そのことに意味があるのかどうか。」
振り向きざまにそう言った途端、シアンが消えた。と同時に男の姿が次第に薄くなり、やがて背景に融け込んでいった。
静かになって改めてあたりを見回すと、うす暗い空間が一面に広がっている。まるで夕暮れの砂漠に取り残された蟻のよう。いや、果たして自分は地の上に立っているのか、それとも広大な空間の上に漂っているのかすら確証が持てない。それを判断できるものは、何もない。ならば自分の価値観はどうだ?確固たる基準を持っているのか?この世に絶対的な価値観があると本気で思っているのは、自分のおこがましさなのではないか?
「まさかな、貴様とここで哲学的な話をするとは思いもしなかった。」
背後から聞こえたこの声の主こそ、先日の相手。闇夜のカラスよろしく、足首までの黒のロングコートに黒のパンツ。甲を横切るように細い金のベルトがかかった黒いエナメルの靴。ご丁寧に黒のレザーグローブまではめている。気配の無さは、この人間に生まれついてのものだろう。足元には色がない。いや、黒だ。三人の集合体というわけか。
「貴様と話すと楽しい。楽しすぎて、私を作っているいろいろなキャラが顔を出したがる。」
私の横を通り過ぎざま、後ろ手に組んだ右手をほどいて肩のあたりで指をそろえて開いた。
「一つ質問させてくれんか。先日貴様のことを〝建前君〟と呼ぼうかといった。ならば、私、いや我々はなんだね?名付けてくれんか。本音、本心、真実、核心、あるいは本性、候補はいろいろあろう。どうだね、旧姓良心君?」
悪人のるつぼのようなこの人間に、呼び名などつけられない。ひとまとめに〝悪の本心〟と言ってしまいたいのだが、『ならば貴様は【善】か?』と問い返されると答えられない。本音と言ってしまえば、主は悪の権化となってしまう。かと言って核心と呼ぶほど、私は人間を分析できてはいない。
「答えられんだろうな。出した答えに反論を受けてオロオロする姿は見せたくない。プライドの高い貴様はいつまでも黙ったままだろう。」
静かに、だがこちらの心を見透かしたかのように一言一言押さえるように語る。
「社会の中で生きている以上、特に企業の中で働き、客から仕事をもらおうとする場合は、カラスは白い、少なくとも黒ではない等と言わなければならない場面に遭遇する。そのようなときに、いやカラスの色は墨や闇と同じ色〝黒〟ですと答えたとしたら、それは正解ではあっても相手の望む答えではない。その結果、顧客のメンツを潰し心証を害し仕事を失う。臨機応変、ウソも方便、その場をうまくまとめることで好評価を得れば、仕事をもらうことができる。かといって相手の言いなりになってばかりでもだめだ。自分の主張、自分の要求を相手に呑ませるためには、本音と建て前、迎合と拒絶をうまく使い分け交渉しなければならない。」
それを間違えてしまうと、今回の私のような境遇に陥らないとも限りません。
さて、今回の話し、前回に引き続きわかりにくかったと思いますが、常々思っている事を、色々なドラマ、アニメ、小説を参考にしつつ組み立ててみました。勿論人間みんな同じ考えのはずは無いのですが、現代社会の中でまとっていなければならない戦闘服を脱いでいくと、結局は同じ姿に成るのではないでしょうか。霊長類の中で長い時を経て進化してきた人類の歴史の中、理性という制御棒で押さえ込んできたものは一旦コントロールを失うととんでもない事になりそうです。いじめ、体罰、DVなどは、暴走し始めた本能のなせる業なのかもしれず、身近である点からいうと原発よりタチが悪いものでしょう。
さて、開けてしまった、私の心の中にあった木箱。果たして、宝箱だったのかパンドラの箱だったのか。そして、出てきたものが何なのか。判断は、皆様にお任せします。
了