次男が大分から戻って来る日の出来事である。
空港で次男の到着を待っていると会社の同期であり親友でもあるKから連絡があった。
Kには次男のこれまでの顛末を報告していた。また、次男のこれまでの活躍をいつも喜んでくれていて
「高校生になって東京で試合がある時は応援に行くから教えてくれよ」
と言ってくれていた。
電話に出るなりKから
「俺も一緒にA先生に謝りに行くからもう一度息子さんのことを頼もうや!」
という思いもかけない言葉があった。
「いや、K、心配してくれているのは本当に有難いが、A先生とは関係を絶たないといけないんだ」
「そうなんか。おまえがそう言うなら仕方ないな。これから大変だと思うが頑張れよ」
またしても涙が出そうになった。Kよ、おまえはなんて良い奴なんだ。次男のために東京からわざわざ駆け付けるなんて。。。

おまえという存在にいつも救われているよ。

次男が大分から戻った日に初めての塾へ向かった。
その塾の先生(以降、H先生)はこれまでの事情を説明したところ、熱心に話を聞いてくれた上で関西圏内の柔道強豪校の偏差値リストを作成してくれた。

また、いくつかの柔道強豪校に

「どうすれば推薦で入学出来るか」

等を直接、問い合わせてくれた際のメモもいただいた。
こうした想定外の熱心な対応により、当初は別の塾に行く予定であったが、その塾に入塾することになった。


塾では簡単な入塾テストを行った。H先生から

「偏差値は大体47位ですかね。英語は現在形、過去形、未来形の理解も怪しいですね。数学は、う~ん、かなり厳しいですね。☆☆高校へ合格するには偏差値58が必要です。これから頑張りましょう」
と言われた時は実質的にあと半年もない状況で偏差値58に届くのか???と絶望的になった。
とにもかくにもこの日から次男の初めての塾通いが始まった。
その塾は個別指導塾である。なぜ個別指導塾にしたのかというと集団指導塾では講義についていけないと考えたからである。
英語、数学、国語ともそれぞれ週2コマづつの設定とした。1コマ90分である。
これまで家庭学習は1秒もしたことがない次男にとっては苦難の道である。
だが、更に苦難の道があった。転校である。