東京国際映画祭で『映画ドキドキ!プリキュア マナ結婚!!?未来につなぐ希望のドレス!』を観た。今までのプリキュア映画の中で一番衝撃的だった。
こんなに悲しい話がプリキュアで描かれるとは思ってなかった。悲しいまま終わる話じゃないけど、観ている最中はどうしてここまで悲しい話にしたのか分からなくて、観終わった後も、ああかも、こうかも、とか考えながら、立ち直るのに2日かかった。なんかずっとTOUGH BOY聴いてた。
これまでプリキュアを見てきた人なら衝撃を受けるポイントは大きくふたつあって、ひとつは現実に起こりうる形での人間の死。
本編でも、マナのおじいちゃんだけ出てくることからおばあちゃんは亡くなってるんだなっていうのが、間接的に分かるようにはなってる。
けど、今回ははっきりと、おばあちゃんも、ペットも、いつか死ぬってことを表現してる。しかも、マナをかばって散った、とか感動的なもんじゃなく、なんか綱が切れちゃって、なんか道に出ちゃって、なんか車に轢かれちゃったっていう、犬死にだ。
おばあちゃんのお見舞いから帰ると、雨の中、家の前にパトカーが停まっている。不安を抱えて家に入ると、マロが交通事故に遭ったことを知らされ、遺体が映し出される。おばあちゃんの心配をしているところに大好きだったマロの死。死をドラマチックに扱わない反面、マナの不安からショック、悲しみの心情が徹底的に演出されていて、自分の死別の記憶が、どんどん蘇る。
舞台挨拶で渕上さんが「大人にはちょっと切ない」とおっしゃっていたけど、切ないどころではない。マロもおばあちゃんも生きているオモイデの世界で「こんなのずるいよぉ!」と泣くマナ。こんな世界に閉じ込めてくれるなんて、むしろありがたいんじゃないか…?いいじゃん、ムーピーゲームみたいでさ…。
プリキュアは、どんな逆境でも、何度倒れても、立ち上がって、前に進んできた。プリキュアにハマる人の中には、プリキュアの逆境を自分の逆境に変換して、立ち向かうプリキュアの姿に励まされたという人が少なくない。俺の身近なプリキュアファンにはそういう人が多いし、俺もそうだった。
でも今回の映画は、逆境の概念じゃなくて、普段はなんとか折り合いをつけて心にしまっている、愛する者との死別の記憶を引きずり出されてしまう。犬や猫や人が幸せになるように祈っても、犬や猫や人がある日突然死んでしまう。
「マナ結婚!?」とか「未来の世界へ、レッツゴー!」なんて明るめの表現を使っているけど、テーマは生と死。重たい。
結婚するということは、人生が少し変化して、前に進むこと(したことないけど)。おばあちゃんのウェディングドレスを受け継ぐということは、おばあちゃんのたどった死にも近づくことでもある。ベベルの「マナたちには未来が、無限の可能性がある」という趣旨のセリフ。無限の可能性は、死も内包している。やはりなんとか目を逸らして折り合いをつけている、いつか来る自分の死も意識してしまう。
オールスターズDX3での妖精たちとの永遠の別れのように、直接死を描かなくても別れの辛さ・悲しさを描くことはできる。けど、脚本の山口亮太さんはあえて強烈に死を描くことで、人間の生を強調した。
それがもうひとつの衝撃的な描写、プリキュアの流血に現れている。めちゃくちゃ痛そうな攻撃はガードさせる、ダメージの大きさは地形とかで表現するっていう、鷲尾元プロデューサーの有名な言葉を知ってる人なら信じられないかもしれない。
暴力性・残虐性を高める意図で描かれたものじゃないのはストーリーを見ていれば分かる。ストーリーをよく見てもよく分からないクラリネットに、よく分からない理由でそそのかされたマロの牙で、キュアハートが出血する。変身しても、キラキラした衣装を着ていても、プリキュアは血の通った人間だった。
キュアハートのハートは、心とか、愛とかのイメージからハートなんだと思ってたけど、人間の心臓だった。「ドキドキ!」は鼓動、動いている心臓、生きた人間の心臓の音だったんだ(『ポッキョポッキョ』って鳴るやつもいる)。心臓の中には血が流れていて、ドキドキ!の中心であり源である心臓が傷つけば血が出る。生きてるからだ。マナの結婚は、マナの血痕だったんだ。女の子は誰でもプリキュアになれるけど、プリキュアになりたいと願う子供たちも、スクリーンの中のプリキュアも、同じ生きた人間。そして残念ながら、嬉しい事に、生きてる人は生きている。生きている人は、生きているうちに、受け継いだ愛を誰かに受け継がせていかなくちゃいけないらしい。
こんな残酷な現実を、優しく突きつけてくれる映画だったと思う。
これまでのプリキュア映画にあった「らしさ」はほとんどない。表層的には、ミラクルライトもあるし(ライトのシーン、亜久里ちゃんが一瞬こっちの世界に来るの、とても良かった)、EDのダンスもあるし、ちゃんとプリキュア映画してる。けど、スタッフたちが今のプリキュアが背負うべき役目とか、伝えないといけないこととか、ものすごくよく考えて生み出した結果、これまでのプリキュアとプリキュア映画に求められてきたものじゃなく、スタッフが今、世に伝えたいことをプリキュアで表現した映画になってる。
だからねー、愉快なプリキュア映画を期待して観に行った身としては、そりゃもうびっくりしたよ!!笑
死を描いて生を際立たせるのは一般的な手法でもあるけど、プリキュアでそれをやってしまうとはねー。強くて頼もしいキュアハートはむき出しの心臓だったなんて、ドップリハマった頃にこんな形で気付かされるとは…ドキドキ!プリキュアめ。かなり恐い、でも楽しい!
こんなに悲しい話がプリキュアで描かれるとは思ってなかった。悲しいまま終わる話じゃないけど、観ている最中はどうしてここまで悲しい話にしたのか分からなくて、観終わった後も、ああかも、こうかも、とか考えながら、立ち直るのに2日かかった。なんかずっとTOUGH BOY聴いてた。
これまでプリキュアを見てきた人なら衝撃を受けるポイントは大きくふたつあって、ひとつは現実に起こりうる形での人間の死。
本編でも、マナのおじいちゃんだけ出てくることからおばあちゃんは亡くなってるんだなっていうのが、間接的に分かるようにはなってる。
けど、今回ははっきりと、おばあちゃんも、ペットも、いつか死ぬってことを表現してる。しかも、マナをかばって散った、とか感動的なもんじゃなく、なんか綱が切れちゃって、なんか道に出ちゃって、なんか車に轢かれちゃったっていう、犬死にだ。
おばあちゃんのお見舞いから帰ると、雨の中、家の前にパトカーが停まっている。不安を抱えて家に入ると、マロが交通事故に遭ったことを知らされ、遺体が映し出される。おばあちゃんの心配をしているところに大好きだったマロの死。死をドラマチックに扱わない反面、マナの不安からショック、悲しみの心情が徹底的に演出されていて、自分の死別の記憶が、どんどん蘇る。
舞台挨拶で渕上さんが「大人にはちょっと切ない」とおっしゃっていたけど、切ないどころではない。マロもおばあちゃんも生きているオモイデの世界で「こんなのずるいよぉ!」と泣くマナ。こんな世界に閉じ込めてくれるなんて、むしろありがたいんじゃないか…?いいじゃん、ムーピーゲームみたいでさ…。
プリキュアは、どんな逆境でも、何度倒れても、立ち上がって、前に進んできた。プリキュアにハマる人の中には、プリキュアの逆境を自分の逆境に変換して、立ち向かうプリキュアの姿に励まされたという人が少なくない。俺の身近なプリキュアファンにはそういう人が多いし、俺もそうだった。
でも今回の映画は、逆境の概念じゃなくて、普段はなんとか折り合いをつけて心にしまっている、愛する者との死別の記憶を引きずり出されてしまう。犬や猫や人が幸せになるように祈っても、犬や猫や人がある日突然死んでしまう。
「マナ結婚!?」とか「未来の世界へ、レッツゴー!」なんて明るめの表現を使っているけど、テーマは生と死。重たい。
結婚するということは、人生が少し変化して、前に進むこと(したことないけど)。おばあちゃんのウェディングドレスを受け継ぐということは、おばあちゃんのたどった死にも近づくことでもある。ベベルの「マナたちには未来が、無限の可能性がある」という趣旨のセリフ。無限の可能性は、死も内包している。やはりなんとか目を逸らして折り合いをつけている、いつか来る自分の死も意識してしまう。
オールスターズDX3での妖精たちとの永遠の別れのように、直接死を描かなくても別れの辛さ・悲しさを描くことはできる。けど、脚本の山口亮太さんはあえて強烈に死を描くことで、人間の生を強調した。
それがもうひとつの衝撃的な描写、プリキュアの流血に現れている。めちゃくちゃ痛そうな攻撃はガードさせる、ダメージの大きさは地形とかで表現するっていう、鷲尾元プロデューサーの有名な言葉を知ってる人なら信じられないかもしれない。
暴力性・残虐性を高める意図で描かれたものじゃないのはストーリーを見ていれば分かる。ストーリーをよく見てもよく分からないクラリネットに、よく分からない理由でそそのかされたマロの牙で、キュアハートが出血する。変身しても、キラキラした衣装を着ていても、プリキュアは血の通った人間だった。
キュアハートのハートは、心とか、愛とかのイメージからハートなんだと思ってたけど、人間の心臓だった。「ドキドキ!」は鼓動、動いている心臓、生きた人間の心臓の音だったんだ(『ポッキョポッキョ』って鳴るやつもいる)。心臓の中には血が流れていて、ドキドキ!の中心であり源である心臓が傷つけば血が出る。生きてるからだ。マナの結婚は、マナの血痕だったんだ。女の子は誰でもプリキュアになれるけど、プリキュアになりたいと願う子供たちも、スクリーンの中のプリキュアも、同じ生きた人間。そして残念ながら、嬉しい事に、生きてる人は生きている。生きている人は、生きているうちに、受け継いだ愛を誰かに受け継がせていかなくちゃいけないらしい。
こんな残酷な現実を、優しく突きつけてくれる映画だったと思う。
これまでのプリキュア映画にあった「らしさ」はほとんどない。表層的には、ミラクルライトもあるし(ライトのシーン、亜久里ちゃんが一瞬こっちの世界に来るの、とても良かった)、EDのダンスもあるし、ちゃんとプリキュア映画してる。けど、スタッフたちが今のプリキュアが背負うべき役目とか、伝えないといけないこととか、ものすごくよく考えて生み出した結果、これまでのプリキュアとプリキュア映画に求められてきたものじゃなく、スタッフが今、世に伝えたいことをプリキュアで表現した映画になってる。
だからねー、愉快なプリキュア映画を期待して観に行った身としては、そりゃもうびっくりしたよ!!笑
死を描いて生を際立たせるのは一般的な手法でもあるけど、プリキュアでそれをやってしまうとはねー。強くて頼もしいキュアハートはむき出しの心臓だったなんて、ドップリハマった頃にこんな形で気付かされるとは…ドキドキ!プリキュアめ。かなり恐い、でも楽しい!