グアム戦 日本軍守備隊 | 太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

グアム戦 日本軍守備隊

グアムでの戦いでは

陸軍14559名、海軍7995名
合計22554名が防衛するために戦った

このうち、21247名が戦死
生還したのは1307名だけであった

一方、米軍は54891名が上陸し7083名が戦死傷した



昭和19年の3月ころから、グアムに急速に兵力を送り込んだ


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第31軍司令本部 司令長官小畑英良中将、参謀長田村義富少将

第31軍直轄部隊 
 野戦高射砲大隊、戦車第9連隊、工兵隊 1352名

第29師団が満州から6987名
司令本部 師団長高品彪
歩兵第38連隊(奈良):輸送船安芸丸に乗って魚雷を受けながらもグアム上陸
歩兵第18連隊(静岡):輸送船崎戸丸に乗って、途中魚雷を受け沈没する
            救助された兵士は一時サイパンに上陸し2大隊がグアムへ上陸する
歩兵第50連隊(松本):テニアンへ上陸し玉砕

※人数はそれぞれの資料によって異なる
 海没者数の相違からか

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独立混成第48旅団2698名が満州から急遽編成された
旅団本部 第11師団(四国)旅団長:重松潔少将以下368名
第1大隊(丸亀)中村義久大尉以下619名 旧歩兵12連隊第3大隊
第2大隊(徳島)古川義正大尉以下615名 旧歩兵43連隊第3大隊
第3大隊(高知愛媛)浜田速雄少佐以下614名 旧歩兵44連隊第1大隊
砲兵大隊(善通寺)加藤三夫少佐以下295名
工兵大隊(善通寺)三宅乙松大尉以下187名

独立混成第10連隊 1668名
第2大隊、第3大隊、砲兵大隊、工兵大隊、通信隊


海軍 第54警備隊・航空隊 7995名(従来在島海軍)


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この挿し絵はグアム島戦友会の戦争スケッチから



サイパンの4万以上の兵力に対してグアムには陸海軍合わせて2万2千
これを見てもサイパンという島は日本にとって
非常に重要な拠点であったことがわかる

マリアナの防衛に第31軍が編成され
サイパンに第43師団、グアムには第29師団が送られた
この両師団は愛知・岐阜・静岡・三重・奈良の連隊からなります
そして強力な関東軍が形成するのは29師団であるが
人数を確保するため43師団は初参戦者が多かったようです
また、鉄壁の布陣を敷くため最強関東軍を満州から補強しました
サイパンには47旅団を編成し、グアムには48旅団を編成です

圧倒的に多い兵数のサイパンが玉砕した数日後には
米軍はグアムに上陸作戦を行った
グアムの守備軍が米軍を打ち負かせるはずはなかった
防衛のための作戦にも工夫も見られなかった


グアム戦の経過については、よくわかるHPがあります

    ダウン  ダウン  ダウン

グアム島戦友会を参照させていただきましょう






☆ サイパン戦

☆ テニアン戦

☆ グアム戦

☆ 引きずった戦後処理問題

☆ 証言記録 体験者は語る