テニアン島 米軍来襲 | 太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

テニアン島 米軍来襲

19年6月11日


米軍戦闘機による爆撃が始まる


13日になると米軍機動部隊が出没し


艦砲射撃が始まった


サイパンも同じくボッコボコにされていた


15日にはサイパンに上陸され


チャランカノアとオレアイの海岸地域には


米軍の基地が構築されつつあった


テニアンの牛崎にある海軍砲台は


米軍戦艦に大砲を撃ちこみ


上陸地のチャランカノアにも撃ちこみ


17日にはテニアンより戦闘機を発進させ


サイパンの米軍基地に爆撃を加えた


小さいながらも戦果を上げていた





7月9日にサイパン占領を宣言した米軍は


全ての砲兵をサイパン南部西海岸に集中させ


砲台をテニアンに向け砲撃を開始した






7月24日


益々、爆撃が激しくなった


艦砲射撃は200門が協力し


空からは600機が援護をするというものだ


島の南西部を集中爆撃し上陸地点を南西と思わせ


遂に米軍は北西部に上陸作戦を開始した


サイパンのタナパグから1000隻を越す


上陸用舟艇がテニアンに押し寄せた


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米軍の上陸用 水陸両用戦車


上陸地はウネチューロ地区のチュルビーチだ


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チュルビーチの海岸


米軍は第4海兵師団を上陸させ


日没までに全員上陸し山砲4個大隊も上陸を済ませた


そして800メートル×1600メートルの基地を設定した


翌日には第2海兵師団を上陸させた


この2個師団の総数は5万4千人と砲300門だ


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テニアン地図
上が北方向で一番上に牛崎がある





守備をする日本軍の防戦計画は定番の水際撃滅であった


主力である松本歩兵50連隊と名古屋歩兵135連隊第一大隊


海軍が北・南・西地区に配置されていた


日の出神社には司令塔が置かれていた


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日の出神社跡



米軍が北西部に上陸したと連絡が入ると


第50連隊連隊長緒方敬志大佐は戦闘指揮所を


ラッソ山に移し、これまた定番の夜間襲撃作戦を計画する


米軍はサイパンでも経験している日本軍の夜襲に備えるのだった


こうして夕日がゆっくり炎のテニアン沖へ沈んでいった