コミュニティの専門家として、 
「松下村塾」に学ぶことが多い。
 
ということで、
 
実際に、その場に触れてみたいと思い、
山口県萩市に残る
松下村塾跡に行ってみました。
 
 
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広さは、8畳と、その後増築された10畳半の二間のみで、
広いとは言えません。
 
 
ちなみに、ここの前は、
3畳半の間に幽囚されながら、近所の人たちに講義をしていたという。
 
それがここです。
 
 

 
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松陰が木原松佳に頼んで書いてもらった

掛け軸には、

 

「三余読書」「七生滅賊」と。

 

 

意味は、

 

「三余読書」

 

勉強に利用するべき三つの余暇。冬は年の余り。夜は日の余り。雨の日は時の余り。

 

いわば、時間がある限り読書せよ。

ということです。

  

  

「七生滅賊」

 

何度生まれ変わっても外賊(天皇の敵)を滅ぼすこと。 
 
 
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吉田松陰は、武教全書、孫子、孟子などを中心に、
実例をもとに独自の方法で、教えていたようです。 
 
 
今の時代でいうと、
 
ビジネスと人格形成、そして、
 
志を持った仲間たちの場。
 
と、言えるでしょう。
 
 

 
例えば、
 
今の学校のように、
みんなが一斉に同じ講義の内容を聴くスタイルではなくて、
 
一人一人が別々に質問する形も行われていたようです。 

 

そうやって、一人一人の個性を伸ばしていったのでしょう。
 
 
 
そして、
 
一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、
松陰が弟子と一緒に意見を交わしたり、
 
 
文学だけでなく
 
 
登山や水泳なども行なうという
 
 

「生きた学問」を通して、
 
人格形成を行ったということです。
 


 
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松陰は松下村塾でわずか2年半という期間で人材育成を行い、
 
久坂玄瑞や高杉晋作、吉田稔麿ら夢半ばに命を絶った人もいますが、
 
 
伊藤博文、山県有朋の内閣総理大臣を筆頭に、多数の国務大臣、
大学の創業者など近代日本に繋がる大きな役割を果たしています。 
 
久坂玄瑞は、後に、
坂本龍馬や西郷隆盛などにも多大な影響力を与えた人物でもあります。
 
 


これだけの人物を育てる教育の根底はなんなのか?
 
 
松陰は学問を「人間とは何かを学ぶことである」と言ったようです。
 
 
「志」
 
「至誠」
 
「大徳」
 
「学びだけでなく行動こそが重要」
 
「自分の生まれてきた使命とは?」

 
 
 
松陰自体も、
 
脱藩したり、
 
黒船に何度も乗り込もうとしたり、
  
当時としては、命がいくつあっても足りないくらい、
かなり破天荒と言える行動ばかりですが、
 
現状に満足せず、常識という壁をいつも自らの行動で壊してきています。
 
 
その行動の裏には、
 
やはり、
 
「志」「至誠」があります。
 
 
 
やはり、
 
実際に行ってきて良かったです!
 
 
 

実は、今回、なぜ松下村塾に行ったのかと言うと、
 
 
ある人に、
 

私が「コミュニティ大学」でやっていることは、
 
「現代版•松下村塾のようですね」
 
と言われたからです。
 
 
恐れ多いですが、

たしかに、
 

ビジネスのことから
コミュニケーション(人間関係) 
日本の和の心
人格形成
仲間作り
 
そして、
合宿したり、
スポーツしたり、
 
コミュニティ大学では
そんな活動をしているので
そう見えたのかもしれません。
 
  
 

それから、実際に松下村塾は、どんな学びの場を持っていたのか?
ということが気になったからです。
 

 
実際に、見てきて、
 

今の時代にできることとして、
 
やっていきたいなと立志の場となりました。
  

吉田松陰が海外の文化や思想を取り入れつつ、日本を大事にして、後に影響を与えたのであれば、

 

 

私たちは、日本の文化や思想を海外に広めていきたい!

 

そう思いました。


 

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