東伏見市営住宅用地について (西東京市東伏見6丁目8番19号、地番:299番等) | 田無地区の地方史 明治以降の産業史が中心のブログ

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1.概要 

1-1.東伏見市営住宅の概要

①1956年(S31)     東伏見市営住宅が竣工(20戸)する。同年に東伏見小学校が開校する。

②現状   

  • 住宅竣工後、約70年が経過し更地の区画が増えています。
  • 残存する市営住宅は昭和30年代に建築された都営住宅に類似していまが、ほとんどの都営住宅建物は中高層建物に建替えられています。
  • 当該住宅は、東伏見稲荷神社と伏見小学校の近くです。

1-2.東伏見市営住宅土地の概要

①この東伏見市営住宅の用地は、299番と317番の土地から構成されます。

②当該校地の沿革を、土地台帳等で調べました。この報告では、古い登記簿等は現行の書式に直しましたが、登記簿等の全記録を転記してはいません。

 

2.東伏見市営住宅用地のまとめ

①東伏見市営住宅用地は、299番1(東側)と317番1(西側)の土地から構成されます。

②1939年(S14)、中島氏が299番等の土地を購入しました。

③1941年(S16)、中島飛行機が317番等の土地を購入しました。

④1942年(S17)、中島飛行機が中島氏から299番等の所有権移転を受けました。

⑤1948年(S23)、農林省が299番等の土地を買収する。

⑦1956年(S31)、299番を分合筆しました。残地地積:472坪(約1560㎡)

            317番1から同5を分筆した。残地地積:671坪(約2218㎡))

            この頃東伏見市営住宅が完成しました。

⑧1965年(S40)、当年発行の土地宝典に依ると、299番1は畑で472坪、317番1は畑で671坪です。

            これらの情報は、1956年の登記情報と一致しました。

⑨1965年(S40)、富士重工業が299番1と317番1の土地の払下げをうけます。 

             299番1を畑から学校用地に。317番1を畑から宅地に変更する。

             保谷町は、317番1の土地の所有権を取得する。  

⑩1970年(S45)、保谷市が299番1の所有権を取得します。    

⑪1977年(S52)、299番1から同3~同5を分筆しました。残地:約1131㎡

⑫1980年(S55)、317番1の同5を合筆、同7と同8を分筆しました。残地:約2397㎡   

⑬1991年(H03)、317番1から同10を分筆しました。残地:約1984㎡ 

⑭2006年(H18)、317番1から同18と同19を分筆しました。残地:約1276㎡   

⑮2019年(H32)、317番1の地積更正を行う。地積:約1080㎡

⑯現状    299番1は宅地、地積1080㎡です。更地に成っています。

        317番1は学校用地、地積1131㎡です。複数の古い住宅が存在しています。

 

 

    詳しくは

    上保谷299_東伏見市営住宅

    を参照ください。