昨年の秋、20年以上も住んだ東京で、夜は昔の友と酒を酌み交わす約束をして、昼は私の生涯学習の「歴史と古文書」のテーマである「江戸と津軽」の歴史散歩を試みた。

 津軽家上屋敷はもともと、江戸城に近い神田小川町(現在の地名)にあったが4代藩主信政が下野の国烏山藩のお家騒動に連座して元禄元(1688)年神田から、本所への移転が申し渡された。当時の本所は隅田川の向こうの湿地帯で神田からすれば未開拓の地であり、大変な苦労があったことと思う。

 その跡地は現在墨田区の緑町公園となっている。そしてそのあたりに葛飾北斎が住んでいたので、大通りは「北斎通り」その先には「すみだ北斎美術館」が建てられている。

 道路案内は北斎の富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」である。

 津軽家上屋敷跡地の緑町公園にひと際目立つ超モダンな建物「すみだ北斎美術館」は現代建築の巨匠「隈研吾」の作品です。

 葛飾北斎は1998年 米誌「ライフ」が企画した「この1000年間に偉大な業績を上げた世界の100人」に日本人では唯一江戸の浮江世絵師葛飾北斎だけが選出された

当時ヨーロッパで「ジャポニスム」がブームで北斎の絵画はゴッホ、モネ、ルノワールなども夢中になったと言われている。

現在の屋敷跡は墨田区「緑町公園」となっており、周りにはマンションなどが立ち並んでいるが、遠くには押上の「スカイツリー」も望まれる。

 この緑町公園が津軽家上屋敷跡であったことを物語る解説立札(墨田区で設置)

両国物語に、「本所七不思議」の1つに「津軽の太鼓」のことが書いてある。

本所七不思議は実際は九つぐらいあるが、江戸の庶民の大好きな怪談、奇談の類の都市伝説である。津軽屋敷には火の見櫓があり、火事の場合は板木を鳴らして知らせるのだが、津軽屋敷では太鼓をたたいているというもの。

 これを研究した篠村正雄氏(弘前学院大学教授)弘前大学・国史研究第154号で

 弘前藩藩庁日記(江戸日記)の記述に幕府の許可を得て太鼓をたたいていたというのがある。

 ちなみに九代藩主 寧親は「本所、深川火事場見廻り役」勤めている。

 (以下続きます)