幼なじみがでてきた。

よくこの子は私の夢に出てくる。


私は顔にコンプレックスがあった。
その子はいじわるだが、美人で羨ましかった。

顔が醜くて、からかわれ、
嫌な言葉、聞きたくない言葉を
たくさん浴びせられた。
食べ物が喉を通らない時もあった。

だから、DNAを恨んだり、
将来は絶対整形すると決めていた。

小さい頃に新聞に載るような
いいことをしようね、
とか、海外留学に行くとか、
人前に出るとか、
テレビに出るとか絶対ない、
と思っていた。

顔が醜いから、どうせいじめられる、
人に嫌な気分を与える、出たくない、
出れないと思っていた。

そして子供も産まない、
産んで私に似たらかわいそう、
私みたいになってほしくない、
そう思っていた。


そもそも小さい頃から散々いじめられ、
気持ち悪がられていたし、
似顔絵まで書かれて
笑われもしたし、
ぬけものにされたし、
近寄らないでと言われたし、
顔の醜くい特徴を言えば、
私の事だと認識されていたみたいだった。

多くは男子だが、
人が怖かったし、
嫌いだった。
本当に辛かった。

何にも悪いことしていないのに
顔のせいで、なんでこんなに悲しい気持ちを
持たないといけないのか?

死にたいとも何度も思った。
辛かった。


とにかく目立たないように
していた。
目立ってはいけないと思っていた。
隠れて、なにもかも隠して
いくと。

そして社会人になり、
即座に整形した。

しかし、
しばらくして
元に戻ったようになった。

あまり変わってない感じがした。
気持ちもあまり変わらず、
そこまで世界は変わらなかった。

お金返してと言いたくなった。

しかしメイクはうまくなった。


好きな人ができ、
その人も仲良くしてくれたけど、
芯から信じられなかった。

うまくいくはずがなかった。

その後、元旦那と出会う。
めずらしくかわいいと言ってもらえて
これはとても嬉しかったが、
芯からはやはり
信じられなかった。

後でわかったことだが、
彼は、
ずっと好きな人がいて、
私と結婚した後もその人が心にいたのを
日記を盗み読みして
知ってしまったのだ。


それから
もろもろのことが
繰り広げられるのだが、
また別の機会に書くとする。


うまくいくはずがなかった。

やっぱり
醜い私は誰からも
愛されない。

しあわせにならない。

そう思っていた。



整形した事も墓場まで持っていく
つもりだったが、
今はそんな時代でもなく、
気軽になり、
公表する人も多くて
気が楽になった。



元旦那は
きれいな顔立ちだったので、
妊娠中は、
とにかくお顔は父親に似ますようにと
祈っていた。


おかげで、
息子は全く私に似ていない。
それは良かったし、
本当に嬉しかったし
ありがたかった。

顔にコンプレックスを持っていたからか、
ここからは
夢の話。

鼻と口をマスクで覆い、
大勢の人の前に出る。
教会のような場所。
代表の人しか前には出れない。

私は祝福され、祭壇の前まで、
ほかの代表のひと、あともう一人いたような?
司祭に続いて行進している。

その後、祭壇の前の定位置に寝る。
白い花がたくさん飾られていた。
紙吹雪も、舞っていた。
何かの儀式の様な感じだった。



顔のコンプレックスは
もう卒業。

そんな意味を受け取った。