ご存知、ディズニー映画でも有名になったお話し、ー Beauty and the Beast。
Greater Love、より大きな愛
心の荒んだ、思いやりの心を忘れた王子。
城を訪れた醜い老女を心なく追い返そうとしたことで、姿を戻した魔女に呪いをかけられ野獣と化してしまう。
人の心を失くした、醜い暴君は、野獣となれと。
呪いを解くたった一つの希望は、王子が人を愛し、そして人に愛されること。
悲しみと怒りに満ちる王子の姿、荒んだ心をもとに戻すのは、与えられたときが終わりに近づくほど、侍従や召使いの目にはほぼ不可能とおもわれたけれど。
物語は、城をノックするベルにより、大逆転を迎えます。まさに神のタイミングです。
ベルは、ひとの心をノックしてあらわれる神に重なります。
ひとの罪は、神をないものとして生きること。
野獣は、自分の中に愛を失うことで、その人間性を失ってしまいます。
人への思いやりや親切心を失うことで、私たちは自分自身を失い、迷う。
わたしの、わたしのための、わたしによる人生。
だから何をしようとわたしの勝手。
自分の責任は自分で取るから、だれにも迷惑かけていない、
とは一見筋が通って聞こえますが、どうでしょう?
物語では、主人公のベルは、思いやりの心をもって野獣に接し、彼の心をひらき、
ついには彼の心に人を愛する力を取りもどします。
ベルの愛は、野獣のかたくなな心を和らげ、人間性をもどし、
怒りや悲しみで占められたこころを、人を愛する心に塗りかえれていく
ベルの愛のパワーは、王子の復活だけにとどまらず、侍従や召使いたちのほか、町の人びとみんなにも広がり、幸せパワーあふれるコミュニティーへと復活させます。
ハッピーエンド、ホントによい話ですね ![]()
この物語は、神の私たちへの愛、その愛を源として私たちがまわりへ発揮するパワーにかさなります。
神は、迷う私たちの心を満たすために、ベルのように思いやりの心をもって、心のドアをノックしてくれています。
ベルの行動は、はじめは父親、そして次には野獣を救うためのもの。
「わたし」ではなく、「ひと」のため。
恐怖や力で、自身の目的を達成するためにグループを煽動するガストンのそれとは、おおきく対比します。
神は、私たちを非難したり、煽動することはありません。
神の愛は、一人ひとりに向けたもので、私の心の準備が整うよう、私のタイミングにあわせてノックして、包んでくれる。
神の愛に気づくことができるように、愛されていることを知り、心が満たされるように。
神に愛されていることで、過去の悲しみを消化して前にすすむパワーがうまれる。
そして、その愛をほかの人へ向けることができるようになる。
John Ch 15 v 9, v12
As the Father has loved me, so have I love you.
My commandment is this: Love each other as I have love you.
ヨハネの福音書 15章9節、12節
父が私を愛してくださったように、私もあなたがたを愛しました。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたもお互いに愛し合いなさい。
これがわたしの教えです。
↑の言葉の後、キリストは十字架で死に、再生します。
神が、イエス・キリストを通して私たちに知らせてくれている愛
自分の命をも問わない愛情を受けている私たちは、
自分のちからではたどり着けないものにもなれる、大きな力をあたえられているんですね
わたしたちは、家族や恋人、子どもたちや友人などに向けて人を大切にしたり、愛する気持ちをもともと持っています。
このあたたかい気持ちの源は、はじめに神さまが私たち一人ひとりを愛してくださったことからはじまっている、とは新しく素敵な発見。
これが神の愛。無償の愛。
大きな悲しみや不平等、不幸により、人を愛する力を失ってしまったときにも、
神に頼ってみることで、神の愛にもう一度温められ、また人を愛する力が再生する。
神さまから、私たち人ひとりづつに向けられている愛に気づき、それぞれの友だちや家族、周りの人々に広がることをお祈ります。
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抜粋|City on a Hill Melbourne church より
