今日は頭をぐるぐるとさせた一日だった。
きっかけは、このブログに何を書こうかなあと考え始めたことからである。元々は、ある人の記事を見るために、数ヶ月前に名前だけ登録したものだったのだが、せっかくだから何か書こうと最近思うようになった。しかし、いざ書くとなると、何を書いたらいいのか分からない。
お昼頃からクールビズ用のスラックスを買いに行くため都内へ出た。電車に揺られながら、何を書こうかなあとぼんやり考えていても何も浮かんでこない。いつも読んでいる人の記事でも参考にしよう、と思い眺めてみた。うまい。およそ何でもない日々を面白く語っておられる。日常からの気付きを的確に言葉にしていて、こちらは逆に言葉も出ない。
自分って普段何にも考えてないなあ
考えてたとしてもそれってわざわざ書くほどのことかなあ
目の前の女の子結構かわいいやないかい
こんなしょーもないことしか頭に浮かばないなんて…
こんな風に考え込むうちに、自分の中身のことを考え始めてしまった。内省とかいうやつである。生活のこと、仕事のこと、将来のこと、人付き合いのこと…。内省というやつは一度はまると抜け出しにくい。あれこれ考えて、ブログのことなどどこへやら。ほわほわといろんなことが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返した。
かわいい子が立ち上がったおかげで駅に着いたことに気付いた。ぼんやりと電車を降りて、ぼんやりと東口を出ると、むわっとした熱気が身を包んできて我に返った。普段なら殺意すら湧く熱気だが、この時ばかりはありがたかった。そうだ、スラックスを買いに来たんだった。今日こそかっちょいいのを買ってやるで~、と気分を切り替えお店へ向かった。
結局、無難なグレーのものを一本と、個人的にはチャレンジしたけど、一般的には普通なんだろうなあというチェックのものを一本買って、帰路についた。いつもなんだかんだ無難なものを選んでしまうのだが、まあこれはこれで良いとも思っている。地味すぎるのも嫌いだが、華美すぎるのはもっと嫌いだ。小洒落た特別さは求めていない。八分目がちょうどいい。無難なスラックスを満足して抱えて、涼しくなってきた道を通り抜け、寮に帰った。帰りは行きよりも時間がはやく感じた。
寮に帰って勉強していると、友だちがやってきた。今は研修中で集団生活なので、いつでも好きなときにぶらっと会えるのだ。やや酔っぱらった友人と、ここ数日間のお互いの出来事をしゃべり、無難なスラックスの話をし、勉強してた自慢をし、カップ麺をすすっていると、ふと知人の家族事情の話になった。
あ、不安がくる
直感で感じたとおり、不安が身体を襲ってきた。勝手に内省が始まる。頭の中は自分の家族でいっばいだ。切り離さなければと思うが、思えば思うほど黒い粘りを持って頭にくっついてくる。顔が引きつる。必死に顔を作って、その場をやり過ごした。
他と違う特別な家族。この手の話は苦手だ。私は、自分の家族が殊に特別だとは思っていない。最近増えていると言われる、多様な家族の一類型であるのみだ。いろいろなバリエーションがあるうちの一類型として家族の話をする時には、不安は襲ってこない。自分の家族のことなど浮かばないし、ひいては顔など引きつらない。しかし、誰の家族だろうと、「特別」認定されたと感じた途端、状態は変わってしまう。言葉にしにくい感覚が渦巻いてくるのである。普通ではない、例外としての「特別」という扱いをして話をされるのが嫌なのかもしれない。「これはあまり話さないほうがいいことなんだけど」という空気を感じるのが嫌なのかもしれない。そして実は、表面では特別だと思っていなくても、心の奥では自分の家族を特別だと思っているから不安になるのかもしれない。
いずれにせよ、これはどうにかしなくてはと思う。ことあるごとにこんな風になっていたら相手は困るだろうし、自分も面倒くさい。じゃあどうすればいいのかというと、家族と決着をつければいいのだが、まだ現実的ではない。ここはせめて、言葉にしにくい感覚を言葉にしていこうと思う。いつ習ったかは忘れたが、言語化することでそれを自分でコントロールすることができるのだ、ということを聞いた。たしかにそれは同意できる。
世の中には、重苦しいことに限らず、言葉にできない感覚というのがたくさんある。そんな感覚を言葉にしてみようと思った。もちろん言葉にしないで体に染み込ませることもいいと思うのだが、もしその感覚にぴったり合う言葉が見つかれば、すごく嬉しい気持ちになるとも思う。他の人に感覚を伝えたいときなどは、特に言葉にするのが必要であるはずだ。
昼に考えていた、ブログに書くことが決まった。まさかこうやって決まるとは。何とも言えない気持ちである。
いや、何とか言わないといけないのか。
