小倉百人一首・藤原定家と美江寺のつながり。 | 樽きゅ~企画☆サポート部(たるQ)のブログ
樽見鉄道沿線、美江寺。
ここは小倉百人一首をまとめた
平安末期~鎌倉時代の歌人、
藤原定家と繋がりがある地です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20131201/23/taru-q-support/2b/8b/j/o0480064412767501241.jpg?caw=800)
もともと、美江寺はすぐ隣の十九条と
同じく、古代の土地区画制度・条理制により
十六条村と呼ばれていました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20131201/23/taru-q-support/bf/94/j/o0405072012767501290.jpg?caw=800)
藤原定家は40代のころ、
美濃介・民部省としてこの辺りを
治めていたそうです。
彼が十六条村の豊かな地を
美江寺に寺領として寄付したため、
それ以降このあたりは
「美江寺」と改められたとか。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20131201/23/taru-q-support/c5/0b/j/o0405072012767501328.jpg?caw=800)
藤原定家が「新古今和歌集」、
「小倉百人一首」で有名な歌人であり
政治家でもあったのは知ってましたが、
岐阜・美江寺にもご縁があったとは。
樽見鉄道沿線、歩けば歩くほど
色々発見があります。
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