目覚めることは、宇宙の真理や難問の答えを見つけることではなく、自分の深くに到達することである。
目覚めは臆せず下り続けた結果であり、自分のなかにある幾層もの感情や性質をまたぎ続け、時には登り、時には下り、それでも常に進み続けた結果、自分のなかの奥底に鎮座した照らされた自分に気づくことである。
それに対して逃げることは、目覚めることと同様に自分のなかの話なのだが、立ち止まり目をつぶることに近い。
人が突拍子もないことをするとき、目覚めたか逃げたかのどちらかである。
それらが真逆であることは明白なのだが、自分の中で起きるそれらを説明することはよほど難しく、他人には目覚めと逃げを区別することは到底できない。
われわれはそれを噛みしめて生きることだ。
誰も信じてくれないと嘆くのではなく、誰も信じられないのが普通なのだから、目覚めたならば、その状態を作り出した自分を忍び、励まし、生きていくしかない。
そして、目覚めの日が来るまで、今の生活をつたなく粛々と進めることだ。
目覚めた後に「あいつは逃げた」と罵られないように、精一杯の自分で生きることだ。