他人がずるくて元気であることは、自分がのびのび生きていくうえで大切な糧となる。
めそめそしているのは自分だけでいい。
自分の外のずるさで、自分を導いてほしいと、いつもずるく考えている。
それでいて自分は清廉潔白な人間だと信じている。
自分のために、平気な顔して社会に対して不公平な行いを出来ないが、
他人が不公平で横暴なことを利用して生きている。
たとえば、社会の枠組みを使って不公平を行使すること。それが行使されることを黙認すること。
言葉にすれば反吐がでる生き方だ。
この感覚は若いころからあって、自分が自分自身を好きになれない主な原因であった。
しかし、どうしてもこの生き方のほうが性分に合うのだ。
そして、言葉なんて形式的な表現では表せない複雑さが自分にはあることに気づいて、
この生き方を認められるようになった。
40年かかった。