すっごい話 | タロのブログ

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今日は、ちょっと濃い話をします。

 

不愉快に思う人もいると思うのですが、

最後まで読んでいただけたら、自分の言いたいことが少しわかっていただけるかもしれません。

最後まで読んだ挙句、理解できないって人で、

さらに議論したい人は、メッセージでも連絡ください。

 

 

さて本編を話します。

 

自分はねん挫しないということが判明しました。

いやー、40代になっても未だにねん挫の定義がわからないのですよ。ねん挫ってなに?

歩いたり走ったりしているときに、足をグキ!ってやってしまうってことあるじゃないですか。

自分、フォアフットと言う、つま先走りフォームに変えてから、何回も足グキーをやっているのですよ。

しかし、とっさに加重を変えて、その後も走り続けますし、翌日に痛みが出るなんてことありません。

自分の中では「ねん挫」==「仮病」くらいの意識です。

 

そんな、ねん挫の挙句通院した人に喧嘩売るような発言をするんですが、

足をねん挫する人って、よっぽどドンくさいんじゃないんかなって思うんですよ。

自分の40年の人生で、その結論しか出てないんですよ。

 

まるで、ねん挫した人をバカにしているように見えますが、

自分は、「ねん挫する」っていう意味が本当によくわからないんです。

だって、例えば右足をグキ―ってやった瞬間に、

体の加重を変えて、左足、もしくは中空に自分の加重を移せば、たいてい何とかなると思っているのです。

しかし、それができなくて、翌日に歩くことに支障が出る人って、はっきりというと、自分の理解の外にいるのです。

 

 

さて、この上から目線の発言どう思いましたか?

 

「こんなブログ、承認欲求のなりの果てだ!!」

と思う気持ちがあるのではないでしょうか。

 

しかし、自分は真剣に悩んでいるのです。

自分は、他人が一般的に理解できる何かが足りないのです。

また逆に、自分が理解する世界の一部を、他人は一生わからないのです。

 

これが、40代のおっさんなのですから、笑ってしまいますね。

しかし、これを読んでいるあなたも、おなじ穴のムジナではないでしょうか。

これが動物的人生と、理性的人生の中間を歩く我々の本性なのですから。

 

強弱、善悪、答えなんてないのではないのでしょうか。