感想文 | タロのブログ

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 子供達には、読みたい本(漫画は除外)があったら好きなだけ買ってやると言っています。そんなこと言ったら、好きなだけ本買うんじゃない?と思うでしょうが、それほど彼らは活字を素早く読めないので大丈夫です。また、買ってあげた本に付箋も同時に渡します。面白かった「フレーズ」や、感動した「シーン」に張っておいてと注文します。こうすると、娘や息子がどの言葉に心を揺さぶられたのかがわかります。付箋が全く張られない本もあれば、たくさん張られる本もあります。子供達が読み終わった本は自分も読みます。読んで、お互いの付箋を貼ったシーンについて感想を言い合う時間の価値は、文庫本にしてたかだが600円くらいだと考えると、超安いです。また、付箋をたくさん張った本は、2回は読みなさいと教えています。中一のとき感じた(付箋を貼った)シーンと、中二のときに感じるシーンは大きく違うのです。それらを味わい尽くすためなら、本にお金をかけることはとても安いのだと感じます。

 息子が読み終わった本を先日読了しました。その本は「君の膵臓を食べたい」です。読みやすくてすぐに読み終わりました。自分が息子と同じ付箋を貼ったシーンがありました。それは、

 

「言葉は往々にして、発信した方ではなく、受信した方の感受性に意味のすべてがゆだねられている。」

 

 という言葉でした。同じ付箋を貼ったページはここだけでした。しかし、この共感できるワンシーンだけで、人はつながり生きているのだと思います。

 

 僕達は、同じ方角に向かって突き進む天体の一部。それでいて重なる点はごく瞬間で、重なったことすらも気づかず過ごしているのだと思います。その瞬間にお互いが気づいて愛し合っても、気付かずにすれ違っても、次の瞬間に僕らは違う方向に向かって走り始めるのです。その相手が、過去の自分であってもなのです。