進化しない価値観 | タロのブログ

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 自分は、28年前は13歳で中学1年生だった。世の中はバブルの終わりで、あり余ったお金はシャンパンタワーの上層を満たして、より強く爆発するエネルギーを求めていた時代だった。才能という力が重んじられる時代で、そんな世の中で自分が受けた教育は、見事なまでの獅子の子落としであり、投げっぱなしジャーマンだった。才能のない自分はその流れのなか埋没していた。

 

 41歳になった自分は、トレーニングを欠かさず、身体をこまめにメンテナンスするようになり、情報テクノロジーを身に着け、多くの人より便利な生活を送っている気になっている。社会の暗黙のルールを感じ取り、エスカレータの右側を開けて乗るようになった。

 息子が東京を見たいと、二泊三日で遊びに来た。めったに行かない渋谷にもつれて行った。街には、若い子供たちが新しい姿をしつつも28年前と変わらない姿をしていた。東京を見たいと言ったものの、どこに行きたいかわからず、それでいてせっかちで、存在しない自分の落としどころを模索している13歳が28年という時を経て目の前にいた。それを見て、自分は父親で子供は息子なのだが、自分の価値観がいったいどうして進化していると言えるのだろうか?

 我々中年が正しいと思い、お金を費やして築こうとしている中流家庭の世界は、はたから見たら莫大な時間とお金の無駄遣いで、なんの魂の投資になっていないということに、こうまで麻痺してしまっているのはなぜなのだろう。

 

 自分はこのスクランブル交差点と同じように、等しく交差しながら進むのだ。

 

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