ブログ2本目、もっとまめに更新していきたい。
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将来的にたくさん喋ることで収入を得ていきたい気持ちがあり、その場合の順番としては
喋りの需要→喋らせ屋さんの出現→屋さんが俺を指名→俺による努力
ざっくりこうだと思う。もし明日からサッカー日本代表の監督をすることになったら、メンバーはサッカーをやっている人から選ぶことになるように、喋らせ屋さんが誰かを喋らせようと思ったら、すでに喋っている人にボールをパスするはずである。だから、喋っておかねばならない。
仕事!
大学三年生だが、まだ就活をしていない。そもそも院進も択にはあって、なかなか判断ができない。というか、先日、友達と喋っていて気が付いたのだが、短期的な俺の人生において最もあり得る未来は就職でも院進でもなく単位数不足による留年であり、一旦は目の前にある授業や課題とのタイマンの連続をこなしていくしかなさそうだ。いちおう2年までで取得単位は卒業単位のちょうど半分(62/124)だから大丈夫だと思うんだけどなー、
現実の話はやめよう
3000年ほど前、ある山の麓に村があった、山は、どのような角度から眺めても香取慎吾にしか見えなかったので、村人はみな諦めて、その山を香取慎吾と呼んでいた。諦めは肝心である。村にある男がいた。男はヘドロを吸って暮らしていた。みなは彼をヘドロ吸いと呼んだ。ヘドロ吸いは牛飼いである。ヘドロ吸いには妻と子がいて、その妻と子は、いや、村の者は、ヘドロなんぞを吸う男を蔑んでいた。妻と子は特に何も言わなかった。本当のことだ。本当に一言もヘドロを吸うことに苦言を呈さなかったのだから、ちゃんとそう書かねばならないだろう。嘘はよくないからな。ある夏の日、村の南に広がる湿地を越えた先の街で牛が全滅する。ヘドロ吸いは義勇の心で、所有している牛のうち、特に立派な身体つきのオス牛メス牛を一頭ずつ選んで、その街まで連れていくことにした。湿地の手前でオオカミに出会う。オオカミが言う。
「俺はオオカミだ」「そうか」「その牛はなんだ」「私の牛だ」「お前は何者だ」「牛飼いだ」
難儀なオオカミは続ける。
「では、我々をこのように会話させているものは何者だ」「どういうことだ」「お前をヘドロ吸いであることにしたのは誰だ」「どういうことだ」「お前は誰が生んだ?」
......
3日ほど前、とある求人を見つけた。白物家電の販売・案内等スタッフ
ほう。
時給1600円から~
ほお。
と書いたが、実際は「白物家電の販売・案内等スタッフ時給1600円から~」と、求人のサムネイルにバーンと書いてあり、その文字列はパッと一斉に目に飛び込んでくるので、「ほう。」「ほお。」の二段リアクションは全くのデマである。
初バイト・大学生歓迎短期(二ヶ月~)
白物家電の販売・案内等スタッフ
時給1600円から~
認知について考えたい
眠らないと決めて輝きだす夜に燃えているリムジンを想像/碓井やすこ「湿性」
歌会を日常的にやる生活を三年ほど続けて結果的に分かっていくほぼすべてのことが、みんな人それぞれかなり違う、ということだ。そんなことか?そんなことである。これは自分自身の性質だが、短い一文は基本的に一斉に目に飛び込んできているように思う。もちろん、横書きなら左から右に、縦書きなら上から下へ、順番に読んでいるはずなのだが、最終的に処理されるタイミングは同時な気がする。目は滑る、ただそれは、あくまでニュートラルな文章、あまり関心がない文章の場合に限った話で、例えば今大学のメアドに届いているメールの、
【6/30(火)開催】「早稲田×電通 未来学 2026 ~未来体質を身につける~」のご案内
という件名は、普段は目に飛び込んできた上で、処理されていない・注視されていないと思う。「電通」が「電桶」になっていても絶対に気付かない自信がある。たまたま視野に移るこの文章のどこにも発作的な興味を抱きようがない、感じの、脳の皺の付き方にデザインされている、俺は。
「白物家電の販売・案内等スタッフ時給1600円から~」
の場合は、この文章を見ている俺の場合は、夏の近づきにつれ暑さを増していく居酒屋キッチンから逃げ出して涼しい場所で、あわよくば良い収入を得たい気持ち一心の俺の場合は、飛び込んだ文章から特に「家電」「1600」辺りに力点を置いて情報を処理する、感じの脳の皺の付き方である。受験国語・現代文は、質の高い文章の特に大トロの部分を抜粋されたもの、との、格闘で、いってしまえばものすごく滋味深いYouTubeShortsなんじゃないかと今思っているが、何となくディスコース・マーカーみたいな、テクニック的な文章へのアプローチを鍛えられてしまうところはあって、そろそろ句点か。俺自身の性質である、長い文章から大事そうな一文をスキャンして、さらにそこから必要な数単語をガッと処理する、という読解アプローチは、おそらく受験国語・現代文由来だと思う。怠惰さの責任転嫁?
眠らないと決めて輝きだす夜に燃えているリムジンを想像/碓井やすこ「湿性」
上で太字にしたアプローチを、仮に「スキャニング」と呼ぶことにする。最近自覚したが、俺は短歌を鑑賞するときもスキャニングのようなことをしている可能性が高い。あまりよくない態度な気がする。が、スキャニングすることで歌の面白さに瞬間的にたどり着けている気がする、、、自己弁護としてはやや苦しいか?掲出歌、ぱっと読んで①まず猛烈に「燃えているリムジンを想像」がかっこよすぎる。②音も気持ちいいな。③「リムジン」という語は短歌で見たことがないので新規性を感じる。までの直観的な感想はスキャニングによってもたらされる。もたらされて、「この歌は面白いぞ」となって、もし歌会でこの歌を見たとすれば、評を考え始める。家で膝をぽりぽりしながらこの歌に出会ったとすれば、「おもしろいなー」で終わりである。みっともないが本当のことなので書いておく。実際はみんなスキャニングなんじゃないかと睨んでいるがどうなんだ、心配です。皆さんは、これを読んだ後初めて俺とすれ違うとき「同じ」か「違う」と耳元で発声して頂きたい。歌会だと「眠らないと決め」るに至った主体の心の動き、とかを喋ったら面白いかなと思うけど、それは歌会が持つ“喋らせる魔力”みたいなのに要請されたもの(だから、本音ではない)な気がしてきちゃうんだよなー。歌を引用した以上ちゃんとした評を書かねばならない気持ち・負い目はあるけど、俺の場合はちゃんとすればするほど実態としてはウソ化していくし、世の中に“ちゃんとした’’評しかないことで生まれる息苦しさ、この文章は完全に俺個人の趣味である、などを勘案して盛大に開き直ってこれ以上評を書かないでおきます。すごくいい歌だと思っていることは言わせて下さい、碓井さん、もしこれを読んで気を悪くされたらすみません。こういう雑な感想を、ウソなしでもっともらしく言えるようになればいいんだろうなー、そもそも、自分が一人で思ってることに「ウソ」とかあるのかっつうか、でも評をこねくり回すと歌と向き合ってない気もするんだよなぁ、道は長く・険しい。
漫画を読むときもスキャニングしそうになるけど、文章と違って漫画は、漫画家の努力・アシスタントの汗・編集者の涙などが見える感じがあって、読み飛ばす罪悪感がエグいけど、結局読み飛ばしている話もしようかなと思ったけど長くなりすぎるので止めます。