タロットカードから見たアンソニーとテリィの違い ~名作少女漫画『キャンディ・キャンディ』より~ | さざ波スワン ~タロットと旅する~

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今日はある漫画についておしゃべりしたいと思います。
現在諸事情で単行本もアニメも絶版になっている『キャンディ・キャンディ』という昭和の名作少女漫画です。

 


主人公はタイトルにもなっているキャンディというアメリカ人の少女。
キャンディは孤児院出身だということで、もらわれていった先の家の子どもたちに不当にいじめられるのですが、どんなに辛い目に遭おうとも、明るく前向きで、思いやりの心を忘れません。
当然のごとく、そんな魅力的なキャンディはたくさんのすてきな少年たちから愛されますが(少女漫画の醍醐味!)、キャンディが心から好きになるのはアンソニーとテリィという二人の少年です。
ちなみに『キャンディ・キャンディ』の愛読者は、アンソニー派かテリィ派かで論争しがちです(笑)。
この二人がそれぞれどんな少年かと申しますと・・・

アンソニーは心優しく物静かな少年で、趣味はばらの品種改良。
窮地に立たされたキャンディを救うために大胆な行動に出るような強い心の持ち主でもありましたが、物語のかなり早い段階で落馬して亡くなってしまいます。

 

優しいアンソニー(左側)
 

テリィはイギリスの名門貴族の生まれですが、父親の愛人の子どもということで家族から疎外されて育ったどこか陰のある少年。
キャンディと同じ寄宿学校の名うての不良でしたが、やがてキャンディに心惹かれていきます。

 

朝の礼拝に堂々と遅刻してくるテリィ

 

お気づきの方も多いかと思いますが、アンソニーとテリィのキャラクターは対照的です。
亡きアンソニーの面影からいつまでも逃れられないキャンディを荒っぽいやり方で吹っ切れさせるのがテリィなのです。
二人の少年にはそれぞれ違った魅力があるのですが、ただただ優しいアンソニーと違って、テリィはキャンディの心に鋭く切り込んできます。
ちょっとこんな場面をご覧いただけるでしょうか。

 

キャンディがいじめられているところへテリィ登場

 

キャンディをいじめる少年たちに凄むテリィ

 

「なにもこの子だって すきこのんで みなし子に生まれてきたわけじゃないだろ。本人に責任のないことを グチグチいうのは ひきょうってもんじゃないか」 byテリィ
 

卑怯な少年たちをたちまちのうちに黙らせるテリィの凄まじい迫力。
子ども心に「テリィはアンソニーより一枚上手だな」と思ったものです(笑)。

確かにアンソニーも一生懸命キャンディを守ってはくれましたが、いじめる人間の卑劣さをテリィのように真っ向から糾弾するようなことはしませんでした。
この差は単にアンソニーとテリィの気質の違いのみに起因しているわけではありません。
人が偶然生まれ落ちた境遇をあたかも本人の功績または落ち度であるかのように見なすことがいかに愚かな行為であるかを、テリィは自らの生い立ちを通して痛感・内省し、確信しています。
一方、アンソニーはそれを自らの個人的体験からではなく、至極真っ当な道徳観念の視点から認識していたため、愛するキャンディの苦労する姿を目の当たりにして、手を差し伸べずにいられなくなったのだと思います。
タロットには、自分自身と向き合うことを示唆する「隠者」というカードがありますが、テリィは人生における出自の問題に関して、「隠者」的内省の時間を費やしてしっかりと自分なりに悟った人間だったと言えます。

 


人生において「隠者」の段階を全うするには、時に気の遠くなるような時間と労力を要することがあります。

けれど、そうやって苦労と引き換えに得られたものには、ちょっとやそっとでは揺るぐことのない類いまれな強さが伴っているはずです。

そのような確固たる信念を他人の内に認めた時、私たちは恋愛うんぬんではなく、ただ純粋に心打たれたりはしないでしょうか。
 

さて、かばってもらったことに感動して礼を言うキャンディにテリィはこんな感じでふざけた態度を取ります↓。

 

 

 


テリィがキャンディに真面目に取り合わないのは、テリィが単なる同情心からキャンディを助けたわけではなかったことの表れだとは思いませんか?
キャンディの中で、テリィが亡きアンソニーの面影を押しのけて圧倒的な存在となったポイントはまさにここにあるように思います。

 

うーん、これぞ少女漫画の王道!

 

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