伝統的なタロットの「愚者」と現代の芸人さん | さざ波スワン ~タロットと旅する~

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去年の春頃、今は閉鎖されてしまったある占い系のサイトにコラムを投稿して掲載していただいたことがあります。
コラムの内容は、芸人さんとはそもそも「道化」であり、実はタロット占いも「道化」と同じ役割を果たしているのではないか、というものでした。
当時のコラムから、道化について書いた部分を抜粋してみます。

芸人とは、「道化」である。 道化は王様の身代わりとして誕生したものだといわれている。王様が完璧な支配者として君臨するために、道化が代わりに失敗役を引き受けたり、建前上、許されないことを代行したりした。

国を統一し社会秩序を維持するためには、多くの場合、規則を守ることを重視し、多様性を切り捨てなければならないだろう。しかし、人間がそのような単層の世界に押し込められると、必ず歪みが生じる。その事実を王様に向かって突きつけることができるのもまた、道化だった。そんな大胆で危険極まりない行為が、なぜ道化に許されたのかというと、道化が愚か者だと見なされていたからだ。たとえ、道化が真実を語っても、「バカが、バカ言ってらぁ」と一笑に付すことができる。しかし、実際、道化が口にする真実は、人間が人間らしく生きるためには欠かせないものだ。
(中略)
規範の中で生活する私たちが思考停止に陥ることなく、柔軟かつ多角的なものの見方を忘れずにいられるのは、社会の中に道化役がいるからであり、芸人はその代表格である。
(中略)
道化は私たちの中にある自由や多様性そのものであり、道化を締めつければ、当然、私たちの中の自由と多様性も制限されることになる


伝統的な初期のタロットの「愚者」がモデルにしたのは、このような道化だったり、狂人やアウトサイダーだったりします。
タロット占いで「愚者」のカードが出た時、占い師が「自由に振る舞いましょう」とか「リラックスしましょう」とか「細かいことは気にしないで」などと言ったりするのは、モデルとなった道化の振る舞いをイメージしているからです。
私たちはもちろん道化でもなければ、芸人でもありません(ご覧くださっている方の中に万が一、道化あるいは芸人さんがいらっしゃったらすみません)。
しかし、堅苦しい社会生活の中で息が詰まりそうになった時、道化的世界観に一時的に身を投じるのは不可能なことではないと思います。
その一番簡単な方法は、テレビや劇場でお笑いを観ることではないでしょうか。

ところで、つい最近、芸人の粗品さんが大先輩の宮迫さんに暴言を吐いて、ちょっとした話題になりました。
同じ芸人仲間からさえ、「あれはちょっと言い過ぎではないか」と苦言を呈されたにもかかわらず、粗品さんはどこ吹く風といった感じで、反省の色一つ見せません。


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コンプライアンスやルッキズムの問題が大きく取り上げられている今の時代、芸人さんも私たち一般人と同じように秩序ある振る舞いを求められています。
と同時に、現代の芸人さんの地位が、大昔の道化とは比較にならないくらい、大きく向上していることもまた事実です。
そんななか、大先輩に暴言を吐く粗品さんは、私たちが忘れかけていた本来の道化そのものの姿を思い出させてくれたような気がしました。


傍若無人、無分別、理解不能。

躊躇することを知らぬがごとく、本音や真理を口にする。


社会における芸人さんの真の役割とは、本来そういうものではなかったか、と思えて仕方ないのです。
このマルセイユ版タロットの「愚者」のカードを見ていると、「思ってること、そのまま言っただけ」と言わんばかりの粗品さんの涼しげな表情がぼんやり重なってしまうのは私だけでしょうか。

 

 

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