「切望はどういうことで始まる?」―レクター博士 | さざ波スワン ~タロットと旅する~

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映画「羊たちの沈黙」をご覧になったことはおありでしょうか。


女性をターゲットにした連続猟奇殺人事件を解決するため、FBI実習生のクラリスが、猟奇殺人の罪で収監されている天才的な元精神科医のレクター博士の元へ派遣され、犯人の手がかりを聞き出すといった物語です。
当然ながら、レクター博士はそう簡単には手がかりを教えてくれません。
クラリスは手がかりを得る交換条件として、自らの辛い過去を告白することになります。
その甲斐あって、レクター博士はクラリスにこんなヒントを与えます。

「犯人を殺人に駆り立てるものの根本は何だ? 極度の切望だ。それが本質。切望はどういうことで始まる? 毎日見ているものを欲しがることで始まる。目はいつも欲しいものを追い求める」

 

正直、それ程親切なヒントではありませんが、クラリスはこれを基に犯人を割り出していきます。

この「目」というキーワードですが、タロットカードの「悪魔」に割り当てられているヘブライ文字「アイン」も実は「目」という意味を持っています。

 


私たちが現実の世界において、盲目的に切望してしまうものとは、実は、レクター博士の言う通り、見ているもの、つまり「目に見えるもの」なのかもしれません。

例えば、恋人に愛を求めている人がいたとします。
愛は形のないものですが、実際、その人の求める愛が「目に見える愛」だったとしたらどうでしょう。
こまめに連絡してくれるとか、高価なプレゼントをくれるとか、常に目に見える愛情表現が得られないと、途端に不安に駆られて、不必要に相手を責めたり、占いに依存したりと、まさに悪魔に心を占拠されてしまう状態に陥ってしまうかもしれません。

この「愛」を「幸せ」に変えてもいいかもしれません。

昔、常に不満を口にしている同僚がいました。
独身時代は、既婚の同僚を目の敵にし、自分が結婚すると今度はご主人やご主人の実家の愚痴が始まりました。
そして、ご想像のとおり、子どもが生まれると、当然のごとく、そこへママ友の悪口が加わりました。
もちろん、日々、生きていれば、愚痴りたくなることは多々あります。
しかし、それがある一定の度合いを越えて、気がつけば、「あの人、四六時中愚痴ってるなぁ」となると、その人はちょっと自分の中の「悪魔」を疑ってみてもいいかもしれません。
実は、この同僚は、セレブ、美男美女、都会育ちといったものに強い憧れを抱いている人でもありました。
いわば、人の目に分かりやすい「幸せ」に盲目的に囚われている人だったとも言えます。
そんな状態に陥っている自分に気付かない限り、この人はどんな状況に置かれても満足することはないのかもしれません。

タロットの「悪魔」は、自分が知らぬ間に何かに囚われてしまっていることを示唆するカードです。
レクター博士のセリフ―

「切望はどういうことで始まる? 毎日見ているものを欲しがることで始まる。目はいつも欲しいものを追い求める」

を思い出す度、これがまさに「悪魔」のカードに込められた真理を物語っているように思えてならないのです。

 

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