ウェイト=スミス版タロットの「悪魔」と映画「聖なる鹿殺し」 | さざ波スワン ~タロットと旅する~

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今日はウェイト=スミス版タロットの「悪魔」のカードについておしゃべりしたいと思います。
このカードには当然のごとく、悪魔の姿が描かれており、占いでこのカードが出ると、ちょっとどきっとすることがあるかもしれません。
ちなみにウェイト=スミス版タロットの「悪魔」に描かれている悪魔は、19世紀のオカルティスト、エリファス・レヴィが最初にタロットに用いた「バフォメット」という山羊の頭を持つ悪魔がモチーフとなり、ウェイトがその姿にコウモリのような翼を付け足したようです。
しかし、いつも申し上げている通り、タロットカードには悪いカードも良いカードもなく、そこには一つの世界観が描かれているだけです。
「悪魔」のカードに描かれている悪魔も、一つの世界観を象徴しているにすぎません。
悪魔というのは、人間の心の隙間にすっと入り込んでくるイメージです。
つまり、気付かないうちに何かの虜になってしまい、それ以外のことが見えなくなってしまう、そんなイメージがこのカードの世界観であると言えます。

「聖なる鹿殺し」という映画をご存じでしょうか。
ジャンルとしてはサイコ・ホラーではないかと思いますが、大変不条理な部分も含めて、背筋がぞくっとするような映画です。
先にネタバレなしで、簡単にストーリーをご紹介します。

スティーヴンはエリートの心臓外科医で、美しい妻、かわいい二人の子どもと共に郊外の豪邸に暮らしています。
スティーヴンは定期的にある少年と面会していました。
この少年はマーティンといい、スティーヴンは彼と食事をし、近況を熱心に聞いてやったり、高級腕時計をプレゼントしてやったりしています。
父親を亡くしたマーティンはスティーヴンをまるで実の父親のように慕っており、二人の関係は一見良好に見えます。
スティーヴンはある日、マーティンを自宅に招待し、家族に引き合わせます。
気の利いた心遣いを見せるマーティンに、妻のアナと十代の娘キムは好感を持ちます。
しかし、この日を境に、マーティンの態度は徐々に変化していきます。
マーティンは半ば強引にスティーヴンを自宅に招待し、母親と浮気させようとします。
スティーヴンは次第にマーティンの粘着質な行動に嫌気が差し始めます。
すると、ある日、スティーヴンの息子のボブが突然歩けなくなります。
原因はいくら調べても分からずじまい。
すると、マーティンがスティーヴンの病院にやってきて、こう言います。
「あなたが僕の父親を殺したのだから、あなたも自分の家族を犠牲にして、バランスを取る必要がある」
実はマーティンの父親は、スティーヴンの元患者で、スティーヴンが酒を飲んで行った手術によって命を落としてしまったのでした。
その後、キムも同じように歩けなくなり、ボブとキムは何も食べることができなくなります。
幸せを絵に描いたようなスティーヴンの家庭は、呪術にかけられたように恐ろしい結末へと向かっていくのです。

と、あらすじはここまでにしておきます。
マーティンを演じたバリー・コーガンというアイルランド人の役者さんは、劇中で、不気味であると同時に、こちらの目を釘づけにしてやまないような独特の魅力を放っています。

 


最初はどこか寂し気な雰囲気をまとったナイーヴな少年であったのに、ある時点から、挙動不審で慇懃無礼な危険人物へと豹変してしまうのです。
映画の中で、キムはマーティンに恋愛感情を抱きます。
マーティンはキムの前で、たばこを取り出してみせ、「最初は遊びだったのに、もう手遅れだよ。やめられないんだ」などと苦笑するのです。
多分、キムにとって、マーティンは今まで見たことのないような大人っぽい少年だったに違いありません。
その後も、自分が歩けなくなったのはマーティンのせいであるにもかかわらず、最後の最後まで彼に対する恋心を捨てきれません。
もうお分かりかと思いますが、まさしく、キムのこのような心理状態こそ、「悪魔」のカードそのものと言えます。

しかし、もう一つ、この映画には「悪魔」のカードが潜んでいます。
それは、スティーヴンの、自らの過ちを全く認めない態度です。
スティーヴンは子どもたちが歩けなくなったことで、マーティンに謝罪を申し入れるどころか、彼を拉致監禁して暴力まで振い出すのです。
おそらく、スティーヴンの「悪魔」とは、自分はエリート医師であり、社会的地位も家庭も完璧であり、何一つ間違ったところなどないという、ある種の幻想であるかもしれません。
一皮むけば、飲酒が原因で医療過誤を起こした過去を持ち、いざとなれば、家族愛より、独裁者的思考に囚われてしまう、完璧からは程遠い人物であったりするのです。
しかし、彼にはそんな自分の姿が見えません。
そして、そういった「悪魔」の視点に囚われたまま、この映画は衝撃のラストを迎えるのです。

ところで、この「聖なる鹿殺し」の主軸となるテーマは、実にタロットカードの「正義」そのものだったりするのですが、これはまた次の機会にでもお話させていただければと思います。

 

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