今日はジュリーの「勝手にしやがれ」についておしゃべりしたいと思います。
ジュリーこと沢田研二さんのヒット曲「勝手にしやがれ」は1977年に発売され、その年のレコード大賞を受賞しました。
曲の途中で斜めにかぶった帽子を客席に投げるという振り付けが印象的でした。
このブログを読んでくださる方なら、歌詞の内容はご存じかと思いますが、だいたいこんな感じです。
男(ジュリー)がベッドで寝たふりをしながら、背中で女が出ていく気配を感じている。
その後、バーボンのボトルを抱いて窓際に立ち、その女が去っていく後ろ姿を見送る。
一人になってしまうと、レコードをがんがんにかけてふざけたワンマンショーを気取る。
歌詞を書いた阿久悠さんは、この歌が「男のやせ我慢」であると『「企み」の仕事術』というエッセイ本の中でおっしゃっています。
歌詞にはこんなくだりがあります。
「行ったきりなら 幸せになるがいい 戻る気になりゃ いつでもおいでよ」
つまり、一言「行くなよ」と言って引き止めればいいものの、そんなみっともないことはしたくない、というこの男の美意識みたいなものが働いているというのです。
実は「かっこいい」と「みっともない」は男のいちばん近いところにあるのではないかと思う。かっこいいと思われていた人が、何かのきっかけで一瞬にしてメッキがはがれてみっともなさを露呈するのはよくある話だ。逆に、みっともない振る舞いの中にギリギリの悲しみや強さが透けて見えたとき、その男のかっこよさがなぜか浮かび上がってくることもある。男は見る角度によってさまざまにその印象が変化する。(中略)少なくとも僕は、ピエロの派手な化粧のその奥にひそむ心を見てみたいと思う。
阿久悠著『「企み」の仕事術』(KKロングセラーズ)より
阿久悠さんは表面上のかっこよさではなく、みっともない振る舞いをしても、かっこよさがどこかに残るような男の有り様を歌にしたかったそうです。
そして、それを表現できる歌手がジュリーだったそうです。
沢田研二はどんなに見苦しく振る舞っていても、その裏にひそむ「やせ我慢」や自分を偽悪的に見せて相手の気を楽にさせてやろうという、「やさしい心遣い」を感じさせる表現力を持っていた。
阿久悠著『「企み」の仕事術』(KKロングセラーズ)より
ウェイト=スミス版タロットの「女司祭」は、一言で言うと「本当の自分」を表すカードです。
「女司祭」が示唆する「本当の自分」は普段、表向きの自分の影に隠れています。
しかし、何かの拍子に自分でもびっくりするくらい強い確信とともに声を上げることがあるのです。
「勝手にしやがれ」でジュリーが演じた男は、去っていく女をどうしても自分から引き止めることができませんでした。
どうしてもできない・・・その瞬間に、この男の「本当の自分」がぐっと前面に押し出されたのかもしれません。
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