水ようかん | 想いすごし

想いすごし

意味もわからずにエッセイもどきや雑文をのせています

私が住むこのマンションが出来たのは平成元年だ。
新築での購入だったが今はもう十六年もたった中古マンションだ。
不動産価値など無いに等しいくせに固定資産税だけは掛かるという厄介なものになってしまった。

  当時となりの家にはおじさん(Aさん)とその子供たちが住んでいた。
奥さんは亡くなられていて、Aさん長女長男そして高校生の次男の4人で暮らしていた。
Aさんは愛想の良い人で柔和な人だった。
  上の2人は独立しここを出て行ったが高校生だった一番下の子はその後結婚して嫁さんと共にAさんと一緒に暮していた。
それが8年くらいも前のことだろうか。
その当時はAさんとは会えばたまに話もしていた。
「鍵を忘れて出かけたが息子たちがまだ帰宅してないので頼む」と、我家のベランダからAさんの家のベランダに危険を冒しながらも移動することも度々あった。
私は「Aさん気をつけてよ」と一緒になってハラハラしたものだった。
5階から落ちたら細身のAさんもさすがに助からないだろう。

 下の息子夫婦もいつからか居なくなったのは知っていた。
その頃Aさんは故郷の九州でのんびり暮らすのだというようなことを言っていた。多分7年くらい前のことだ。

 その後Aさんの姿が見えなくなりマンションの共益費や積み立て金が滞り続けていた。
その時々の自治会長が手を尽くし捜してもAさん家族の行方は何故かようとして知れなかった。
妻に聞くとAさんを訪ね何度か我が家に人が訪ねて来ていたようだ。
一度Aさんの友達の中華屋の主人も我が家のベランダを乗り越え部屋に入ってみたこともあった。
この春これ以上放置して置けないということになり住民総会の席で法的手続きをとることになったのだ。

そして今日のこと。
帰宅後妻から聞いた話はこうだった。
3人のスーツ姿の男が我家に来て黒い手帳を示しながら 「お隣の人の話を聞かせて下さい」と言ったそうだ。
「この家は競売に掛けられることになりました。この家の方のことについてお聞かせ下さい。いつから見かけませんか?」
「もう7~8年見かけません」
3人のスーツ姿の男は裁判所の人間だったようだ。しばらく時間が過ぎ、またその裁判所の男たちが我が家のチャイムを鳴らしたそうだ。
 
「実は鍵の職人を連れてきていて、今隣に入ったのですがAさん、いらっしゃいました」
「え~~~っ?!!!」
「お隣の奥様も心配なさっていたようですから一言挨拶なさってはどうですか?
と言いましたところ『今更どの面さげて会うことが出来るのか』ということでした。
ご本人であることは身分証明書で確認できました」
 「Aさんのところに裁判所の人が来て・・・そして入ってみたら・・・・」
と妻が話し出した時一瞬『Aさん死んで白骨死体で見つかったのか!』と思ったが
実はもっと恐ろしいことに「ずっと住んでいた」のだ。

隣は居ない!と思い込み寝室の壁からたまにコツコツ聞こえる音も上の階の音だろうと思い込んでいた。 死んでいたよりも怖い思いがした。  
ただその後の話でマンションの清掃委託のおばさんがキャップを目深にかぶりリュックを背負った人がその家に入っていくのを何度か見たということだった。
  競売が完了し新しい人が住むまではAさんは多分住んでいるのだろう。
長い長い期間、借金取りから逃げていたのだろうか? そして息を潜め暮していたのか・・・灯りも漏らさず音も立てず・・・
   Aさんちょっと酒でも飲もうか?と訪ねられたら良かったがAさんはお酒を飲まない人だった。
 会いたくないというのは、恥をさらしたくないという思いなのかも知れないがこちらはそんな気は全く無く「つらかったねぇ」と言って励ましたい思いだけだった。

〖後日談〗
Aさんが水羊羹を持って我家に来て妻に詫びながらも辛い身上を話していったそうだ。
知人の保証人になり借金を背負ったとのことだった。
その夜妻と話ながら頂いた水羊羹を食べた。
妻は「甘い」と言いながら食べていたけれど、私が食べた水羊羹はそういう味ではなかった。