コラム城田憲子  長光歌子編(2) | 高橋大輔 輝く道と共に。

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パート2がきましたね。とても面白かったです。とくに印象に残った部分を抜粋します。


長光「本当に…。良く覚えてるんですけれど、シニアに上がった年、いきなりプルシェンコと一緒の試合に出たんです(02年GPシリーズ、ボフロスト杯。高橋11位)。SPはプルシェンコのすぐ後の滑走順だったのかな。公式練習も彼と一緒でね。そうなるともう、あの人は駄目なんです(笑)。『テレビで見てた、あの偉大なスターが一緒に練習してる…』ってなっちゃう。そんな大輔を見て城田さんがイライラしてたの、私もよく分かりました(笑)。あの頃、世界ジュニアで優勝してからの低迷期が長すぎて…。皆さんに心配かけちゃって。教えてるのがもし違う先生だったら、もっと早くにバンバン上手にしたんだろうな、と思うんですけどね」


まるこの時の試合のエピソードは後に有名になりましたよね。

2002年11月、ドイツ・ゲルゼンキルヘン。

グランプリシリーズのボフロスト杯の練習で、4回転に挑む少年がいた。高橋大輔、16歳。この年の世界ジュニア選手権を制して迎えたGPシリーズデビューだった。だが、4回転の精度は低く、失敗しては氷上にたたきつけられた。控室で、そんな高橋に「大丈夫か」と声をかけた選手がいた。20歳のプルシェンコだった。』

8年目の握手~高橋大輔が4回転を跳ぶ理由~川崎治子/文 より抜粋)


大輔さん、『テレビで見てた、あの偉大なスターが一緒に練習してる…』。

そうですよね、この頃の大輔さんはプルシェンコのファンでもあったと聞いています。そんな人と一緒なんですから、緊張するな、と言うほうが無理ってもの(笑)


その後パリで行なわれた、GPシリーズ2003 Trophee Lalique (エリック・ボンヴァール)で、17歳になった大輔さんは再びプル様と再会。

この時はまだ名前も知られていなかった大輔さん。SPを滑り終えて暫定1位になったことに気づかず、キスクラでぼ~っとしていたら、解説の2人にからかわれていました。もちろん、大輔さんには聞こません(笑)


小梅のLet’s go soon


解説者A「(自分が1位になったことに)気づいてないね」(笑)

解説者B「お~い、坊や、君が1位だよ~」

と、坊や扱いされてました。17才なんだから無理もないけど。この写真はやっと自分が1位だと気づいてびっくらしちゃっている大ちゃん(笑)。



小梅のLet’s go soon

フリーを迎えた大輔さんは、なんと2位!プル様の次だった。年齢も一番若かった。ちなみに4位にケヴィン・ヴァンデルペレン選手がいるではないか!最終結果は大輔さん5位。1位はプル様 2位ケヴィン。

とは言っても、この時代自分は大輔さんのことは知らず、大輔さんのジャンプコーチをしている本田先生を応援していたような気がします。気がする、と言うのはこの頃の自分は7:3の割合で7がサッカーでした。今でもサッカーは観てますが、割合は逆転しました。この大輔さんのおかげで (///∇//)



もうひとつ、長光先生のお話を紹介。


長光「ダブルからジャンプをやり直して教えて下さったんですけれど、大輔は本当にダブルが嫌いなんです。知ってます? 大輔、ジャンプの時、空中で目をつぶってるんですよ」


は~い、先生。知っていましたよん。証拠のお品です。


小梅のLet’s go soon

ジャンプの最中は、かなりの確立で変顔になるのが普通なのに、大輔さんは目を瞑っているのが良いのか?顔面保持率90%と言われている・・・・・・らしい(笑)。