ハウステンボス売却へ 思い出 | たろの中国滞在記 備忘録 taroszcn

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何かと物忘れの激しい年齢となりました。
日本を離れ中国で生活していた頃の思い出を忘れないうちに綴ります。

ハウステンボス売却へ 思い出 

 

『ハウステンボス売却へ、HIS 財務改善急ぐ…コロナで打撃「優等生」手放す』

 

8月5日にこんな記事を見た。

「ハウステンボスがまた売却されるのかぁ。

ハウステンボスは最終的に何処にたどり着くのだろう」

2000年代後半、私は江蘇省蘇州に住んでいた。

日本の友人 YJから電話で相談があるから

スカイプ立ち上げろ!と言ってきた。

YJは父親が日中コンサル系の仕事をしている。

その手伝いをしていた。

とあるプロジェクトの相談で来週上海入りし、

その後、蘇州で私と話をしたい。

強いては下調べと手配をお願いされた。

 

私は早速、私のビジネスパートナーのC氏(蘇州人)に電話を入れた。

C氏は「当たってみるよ、多分繋げると思う」と言ってくれた。

私は当時も今もC氏のこの地域での政治力は信用ができたし、

無理な事は無理だと言う。

 

あまり詳しく書くと人物特定されそうなので

 

それでも、少し書くと、

ある時、蘇州の農水関係に詳しい人を紹介してほしいと頼むと

数日後の夜、電話が来て、とある住所と店の名前を言われて

直ぐ来いと言われた。タクシーで行くと大通りから脇道を入り突き当りの

隠れた場所に新しい綺麗で超高級なレストランがあった。

入り口でC氏の名前を告げると大きな個室に通された。

そこにはC氏と蘇州市水産局局長と水産局次長、農業局次長が

待っていた。

 

その他にもここには書けないが

面白い時期を蘇州で暮らした。

『近平』になって色々難しくなった。

『近平』前の中国が楽しかった。

 

話は戻る。

YJが蘇州に来る前日、朝からC氏が「西山に行くから、一緒に行こう」

西山の農家に着くと「ここが我々の会社の総務の事務員(女の子)の

実家だよ」と告げられて、果物のビワを収穫した。

毎年、C氏から頂くビワはここの物だった。

C氏は毎年、100~150箱くらい事務員の実家から購入していると言う。

C氏は従業員にも気遣いの出来る男だった。

その日は車に15箱位を積み込み会社に戻った。

 

YJが蘇州に来た。

珠江路×竹園路にあった珈琲店の個室で話をした。

今回のプロジェクトで 先ずすべき事は中国各地から

長崎のハウステンボスに団体旅行客を送り込む事だった。

 

C氏は「ちょっと待っていて」と言うと喫茶店の個室を出て

駐車場の自分の車に戻り、電話を始めた。

 

個室でYJと2人きりになるとYJに質問された。

「Cさんって信用できますか?」

「たろさん、俺もこれまで沢山の中国人と、会ってきました。

父親が築いた中国関連はそれなりに信用できましたが、

父の築いた人達(人脈)は年を取り現役から遠くなってしまい、

今回のプロジェクトは私がメインでの初めての仕事です。成功させたい。

依頼企業(客先)も超大手が何社も絡んでいる。」

「私もここ数年、自分自身で人脈作りを行っているが、嘘が多すぎるから・・・」

YJとC氏は初対面だ、YJも結構揉まれてるんだなと思った。

 

私は「Cさんは、ここ蘇州では信用できると思ってるから一緒に事業を

    営んでるよ。もともとCさんと知り合ったのは商売とか一切関係なく

    知り合ったんだ。だから縁なんだよ。私と君もそうだよ、仕事のような

    お金が絡むところで知り合ったんじゃないでしょ。君と私も縁だよ」

 

Cさんは30分程電話した後、個室に戻った。

そして、YJに「明日午後2時頃がいい、苏州市旅游局に行き、

この番号に電話して〇〇さんと会いなさい」とメモを渡した。

 

YJがトイレに行くため個室を出た。

私はC氏に「どうにかなりそう?」と聞くと、

「道筋は付けるよ」と答えた。

私は「YJはかなり心配している。信用できるか聞かれたよw」と言うと

C氏は笑いながら「なにぃ~、じゃあ、少し奮発するかw」と笑った。

そして、その夜は3人で商業街ではなく 邓尉路の鍋屋で食事をした。

 

翌日、YJは言われたとおりに旅游局に行った。

帰ってきたYJに昨日の珈琲店に呼び出された。

YJは少し興奮しながら「Cさんは本物だったよ」言った。

YJが旅游局についてロビーで電話をすると

電話をロビーの職員に代るように言われて代った。

すると職員の案内で次長室に通され、旅游局次長が

「局長から貴方の話を聞くように言われている」と・・・

話が終わると実務の担当を呼び紹介してもらった言った。

 

そんな話をしているとCさんから電話が来て

「YJにサプライズを用意した。会社からビワ10箱持って

18時半に十全街のキノコ料理屋集合、

YJにはCさんの友達と一緒に食事をしようと言い連れて

来て」と言われた。

 

キノコ料理屋に到着しお土産のビワをYJと一緒に10箱持ちながら

個室に入るとCさんが「私からのささやかなプレゼント西山のビワです」と

食事会の出席者に配った。

 

YJは数時間前に合った次長に気が付いた。

Cさんは笑いながらYJに

「こちらが貴方がさっき会った次長ね」と言い

紹介を続けた

「こちらが、この前の6月に地元蘇州に帰ってきた副市長」

「こちらがさっきの次長の上司の旅游局局長」

「こちらが貴方もさっき会ったと思うが担当の〇〇さん」

次々と紹介した。

その後に私がYJに

「多分、Cさん信用できると思うよ」と言うと

Cさんは大笑いをした。

 

そんなこんなで蘇州市が一番早く、そしてある時期までの総計で

一番多くの団体観光客をハウステンボスに送り出した。

          ↑07~08年少し回復した、その時の話し。

 

 

こんなことを思い出しながら この文章を書き終えた。