はじめましての方はこちら☺️
すみません。
妊娠出産、育児とは少しはなれた話になります。
でもこの気持ちは残しておきたくて書いておきます。
今朝、実家のねこが亡くなったと連絡がありました。
飼っていたねこが亡くなった。
これは、その家族や同じくペットロスを経験した人には重大事件だけれど、
そうでない他の人からしたらあまりに大したことない出来事。
会社の人に
『実家のねこが亡くなっちゃったんです』なんて言っても
飛んで帰るように言われることはほぼないし、
TwitterやInstagramで報告するにも普段の生活に疲れていて、
せめてSNSでは現実を忘れてくすっと笑ったり
幸せな気持ちになったりするのを求めている現代の私たちには重い。
でも知ってほしいし発散したい。
ブログに書くのはそんなときにちょうどいいツールだからかもしれません。
なので、書かせてください。
虎太郎と書いてこたろうくん。
茶トラで寅年(2010年)生まれのため、
わたしが虎太郎と名づけました。
怖がりで甘え下手の甘えん坊。
きれい好きの心配症。いたずらっ子。
父のことが大好きで父にいつもくっついていました。
金曜日、母に何気なく連絡して、いつもの社交辞令で
『虎太郎くんにもよろしくね』と伝え、
母からもいつもと同じように「はーい」と返信がきて終えたLINE。
その数時間後、急に発作を起こしたらしく
嘔吐して、呼吸が荒くなって、
右半身麻痺のような状態で体を引きずるようになったとのこと。
その日は父と母で交代して仮眠をとりながら様子を見て、
次の日の土曜日の朝に病院に連れて行ったら、
脳梗塞か脳に腫瘍ができたと考えられると言われたそうです。
土日は入院してお見舞いに行き、
月曜日に退院できるかなと思っていたところ、
月曜日の朝に痙攣を起こし、心肺停止になり、
連絡を受けた母が病院に着いたときには心臓マッサージをしてくれていたそうですが
そのまま息を引き取ったそうです。
あまりにあっけない。
まだ11歳なのに。
金曜日の夜までいつもと変わらず元気に過ごしていたはずなのに。
来年年男を迎える寅年、お祝いするつもりだったのに。
わたしは今は一緒に暮らしていないけど、
ハタチのときに来てくれて家を出るまで一緒に過ごしてくれた年の離れた弟のような虎太郎くん。
突然のことに切なさと寂しさで胸がいっぱいになります。
ペットの死、何回経験しても当たり前だけど慣れるなんてことは全くないですね。
わたしが実家のねこを亡くすのは今回が初めてではありません。
わたしは実家で3匹のねこを飼っていました。
プロフィール画像にしているこの写真に写っているねこのぬいぐるみは、
実家にいたねこ(ニャースくん)にとても似ていたので
亡くなったあと寂しくてわが家にニャースのお友だちのニャン太くんとしてお迎えした子です。
娘につぶされるニャン太くん笑
こちらがニャースくん
当時小学生だったのでポケモンからニャースと名付けました
もう1匹がチンチラシルバーのごまちゃん
目が見えなくなってから2年懸命に生き、
19歳まで生きてくれました
初めてペットを亡くしたのは2015年にニャースが亡くなったときでした。
わたしはまだそのとき実家暮らしで、
癌を患ってだんだんと衰弱していくのを日々見ていました。
ある平日の朝起きたらもう亡くなっていて、
たくさん泣いて、でも会社にはがんばって行って涙をこらえて、
帰りに最寄りの駅に着いたときに糸が切れたようにワンワン泣いてしまった。
そのとき、初めて思ったんです。
未来を想像するのが怖いなって。
ペットロスを経験して、
今まだ元気でいてくれる子たちも、数年後には同じように亡くなってしまう。
なるべくその日は来てほしくないけど
でも必ずその日は来る。
またこのどうしようもなく悲しくて仕方のない経験をする日が未来に待っている。
そう思ったら未来が怖くて仕方なくなってしまったんです。
同じように、もっともっと先の未来を考えたら
楽しいことだけでなく、
親の病気とか死とか悲しいことがわたしを待っている。
そのとき、
家族をもとう。
そうしたらきっと新しい家族がわたしに未来を想像することをワクワクさせてくれる。
って思いました。
飛躍していて、かつ安易な思いつきに聞こえるかもしれません。
でも、当時まだ実家暮らしで親に甘えっきりだったけど、
そうじゃなくて自立しよう。
新しい家族をもって、その家族との楽しい未来をつくっていこう。
そう思ったんです。
娘が生まれて、
いまわたしにとって未来は悲しいことなんかより
はるかに楽しい想像でいっぱいになりました。
3年後が、単にわたし自身と親が3歳老いるだけの未来ではない。
娘が3歳になっていて、ちょっぴりおしゃまさんになっていて、
たくさんおしゃべりして踊って、楽しい未来が待ってくれている。
5年後、10年後、
20年後も怖くない。
両親ともに60を過ぎているから
20年後、父も母も病気せず元気にいてくれるかはわからないけど、
でもその頃娘ははたちになり、
きれいな大人の女性になってわたしにそのときの流行なんかを教えてくれて、
わたしをウキウキさせてくれるかもしれない。
家族であるペットを亡くした話から
だいぶ脱線しているように思われるかもしれませんが、
死を通して、
死という悲しいことは必ず来てしまうから
それを乗り越えるというか、それだけに浸って悲しみの沼に溺れてしまわないように
家族をもつんだな、とわたしは考えています。
「デューク」という江國香織さんの短編小説、
知っていますか?
ペットを亡くして辛い方、良ければ読んでみてください。
歩きながら、わたしは涙が止まらなかっ た。二十一にもなった女が、びょおびょ お泣きながら歩いているのだから、ほか の人たちがいぶかしげにわたしを見たの も、無理のないことだった。それでも、 わたしは泣きやむことができなかった。
デュークが死んだ。
わたしのデュークが死んでしまった。
わたしは悲しみでいっぱいだった。
デュークは、グレーの目をしたクリーム 色のムク毛の犬で、プーリー種という牧 羊犬だった。
デュークが死んだ。
わたしのデュークが死んでしまった。
わたしは悲しみでいっぱいだった。
デュークは、グレーの目をしたクリーム 色のムク毛の犬で、プーリー種という牧 羊犬だった。
から始まる物語です。
亡くなったペットに会いたくなる、きっと会いに来てくれると思えるお話です。
ありがとう、虎太郎くん。
甘え下手だけど甘えん坊なの知っていたよ。
かわいかったね。
お腹を見せて無防備に寝ている姿、お日様の香り、忘れないよ。
11歳で天国に行ってしまうなんて想像してなかったけど、
天国で先人のお兄ちゃんお姉ちゃんたちもいるから、
またかわいがってもらいなね。
里帰りの間も、娘と仲良くしてくれてありがとう。
早すぎる別れに安らかにね、なんて似合わないので
ありがとう、いつまでも大好きだよと伝えておくね。