先ごろ歓喜のうちに閉幕した平昌冬季オリンピックは日本人選手のメダルラッシュに沸いたのが記憶に新しいが、1980年は『目指せモスクワ!』を合言葉にその年に史上初めて社会主義国で開催されるモスクワオリンピックに4年間鍛錬を重ねた日本人選手代表団は涙を飲んだ。前年にソ連軍によるアフガン侵攻に抗議し欧米とともに日本も大会をボイコットしたのだ。ブラウン管に柔道の山下選手が悔し涙を流している映像が目に焼き付いている。
溝の口という街は実にカオスだ。太郎が生まれ育った高輪のような洗練された都会のエスプリ要素は一切ないが。この街には音と大人の生活力に溢れている。駅を降りて繁華街に入る信号のメロディー、パチンコ店の大音量の軍艦マーチ、ゲームセンターの電子音、居酒屋のテーマソング。また駅の裏側には生活臭ただよう飲屋街とエロ本専門店。母からこのエリアには行くなと注意を促されてたが、行くなと言われると行きたくなるのが人間の悲しい性である。太郎にとっても例外ではない。
ついこの間まで泣き虫崖っぷち小学生はどこえやら太郎はクラスの人気者になっていたその理由は母みどりの発案でホームパーティーを開催しクラスの主要な子供たちを呼んで接待した(^O^)特にお好み焼きパーティーは大好評で太郎の株は急成長した。当然ガキ大将高木と谷参謀は常連で母は我が子のように可愛がってた。余談だが当時【ポカリスエット】が販売されアイソトニック飲料という名目でCMをしてた記憶がある。
その頃 割り箸で作ったゴム鉄砲が流行りクラス同士で対抗戦がよくあった。ガキ大将高木は太郎に新作のゴム鉄砲の製作を命じ太郎はそれに応え一度に5本のゴムを撃てる新式銃を作り早速実践で効果を発揮した。太郎はこの功績により谷参謀に次ぐ高木軍団No.3の地位を獲得した。
都会からのひ弱な転校生が一年後にはすっかり街にも学校にも慣れ地位を確立するのは異例の壮挙であった。太郎は処世術を学びそれは人生哲学に繋がっていく、だが太郎は新たな試練に直面することになる。
つづく







