2005年に打ち出されたクールビズ・ウォームビズというキャンペーンから、ネクタイ業界の斜陽化は更に進んだんだろう。
僕は、それなりに紳士服が好きだし、その引き立て役として絶大なる効果をもたらすネクタイをそれなりに愛している。ジャケットを着用するなら、ネクタイを締めないという選択肢はないほどには。
しかしながら、近年に見られるビジネス服の自由化はいい事だと思っている。
僕は仕事でネクタイをするのはマストだと考えているにも関わらず、ネクタイを仕事で着用しないのが一般化している状況は喜ばしいとすら思う。

エルメスのプリントタイ

まず、ネクタイは首に締めるという代物であり、これは見方を変えれば、飼い主に行動を制御される犬畜生の如くまるで社会に飼い慣らされた従順な家畜のようではないか。
業界や会社の慣習で仕方なく好きでもないネクタイを締める中年男性の姿を見て連想するのは、エジンバラ公のような英国紳士でもなく、ウィンザー公のようなダンディな男性像でもない、まるで生気を失った木偶のようではないか。

木偶に締めるネクタイは上質でなくてもいいのだ。首輪の代わりなのだから。
粗悪なものでも構わない。彼らは彼らの意思で従順なんだから。

しかし近年、彼らの多くは自由を得た。
首輪をしなくても良くなった。
粗悪な首輪を引き裂いて、自由な発想で、自由に働く場を得る機会に巡り合った。

そんな中でも、紳士服を着る事を選んだ男性は、きっと粗悪な首輪ではなく、上質なネクタイを自ら選ぶだろう。
ネクタイは、着けさせられるものではない。
自己と自由を顕すものだから。
少しの洒落心と一緒に。