牧野庭園で近くで説明している方がいて、紫陽花が終わりの時には花びらが下を向くと聞こえてきた。
今まで気にしたことがなかったけれど、見たら下を向いていた。
調べたら↓
額紫陽花(ガクアジサイ)の場合は、花が終わったことがよくわかる目安があります。それは花が終わるとガクが裏返ってうつむいてしまうのです。空を向いていた側が、花が咲き終わるころになると地面を向きます。なんだかおもしろいですね。
↑ 写真お借りしました。自分の写真が撮れていなかった😅
紫陽花の最後は下向きかぁ!今まで咲き誇っている写真しか撮っていなかったから気がつかなかった。牧野博士みたいに愛がないなぁと…
庭園の植物の写真を撮ってきた。とうちゃ↓
お茶?チャノキの変種みたいだ。
博士はジーッと見続けるんだろうなぁ😄
茶摘みのお茶の葉っぱ🍵と何か違うのか?
ジャノヒゲ ↓
実家の庭にあった気がする。
博士は植物を粗末に扱わなかっ人だ。
辻仁成さんが下記のようにブログで仰っていた↓
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人間は言葉を粗末にしてはならない。
言葉は人を殺すこともある。
言葉は人を救うこともある。
言霊がある。悪い方に使ってはならないのだ。
どんなに偉くなっても、言葉をおざなりにしてはならない。
どんなに若くても横柄な言葉をつかったらダメだ。
ぼくは別に年上面するつもりはないのだけれど、言葉遣いが間違えていると損をするのは自分なのだよ、と言いたい。
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彼の小説は『冷静と情熱のあいだ Blu 』や『サヨナライツカ 』を読んだくらいだけどブログは面白くて読んでいる。犬の三四郎とたまに息子さん、フランスで子育てと料理など~。
繊細な人だから言葉を粗末にする人がニガテなのかも。
彼の言葉にハッと気付くことが多々ある。
粗末に扱うことの残念さ、何の分野においても通じるな~と。
辻仁成さんは言葉に、牧野博士は植物に情熱を注ぎ、粗末に扱わないで丁寧に愛を持っているのだろうな~
辻仁成さん音楽もやられている。小説家だけじゃなく「Zoo 愛をください」の歌も!!!
私は言葉に感銘を受ける時が多いかな~と。昔から日記帳やメモに心に沁みた言葉を書き留めていた。たまに読み返すとその時々の心情で刺さる言葉の変遷が面白い。
今日は「粗末に扱う」ということ。
拘りの違いで粗末とも思わない人もいるだろうな~ 価値観の相違だから、違いはどこかで妥協なのか消化するのか受け入れるのか、無視か(笑)
牧野博士の全く粗末に扱わない態度を感じていたから、辻仁成さんのあのブログの言葉が刺さったのかな~
どの部分に拘りを持つのかでコミュニケーションは変わるな~