中国の李克強前首相が死去されたようですが、この人は中国共産主義青年団出身で一時は胡錦濤の後継者とも噂された人。もし李克強さんが中国の最高指導者になっていたら日中関係も変わっていたかも知れないですね。
🇨🇳幹部の中でも指折りの現実主義者で国際感覚もあり、英語もペラペラの超有能でしたからね。
— 台湾史.jp (@Formosanhistory) October 27, 2023
でも、これが習近平にとっては気に食わなかったことも確か。
暗殺説は個人的には否定的ですが(おそらく「憤死」)、SNSではそれで盛り上がるでしょうね、こっちの方が陰謀説的に「面白い」から。
対外的には、🇨🇳幹部で話のわかる人は二人、そのうちの一人が亡くなったので、もう一人の横綱劉鶴前副首相に何かあったら(ウワサによると今のトップがあまりに国際感覚なさすぎなので、🇺🇸とかが劉鶴なんとかしろとクレームが来てるとかなんとか…)、🇨🇳マジでヤバいです。
— 台湾史.jp (@Formosanhistory) October 27, 2023
共青団の力は早くに衰えており、その結果、習近平が増長したような感じかも知れないです。
— 六衛府 (@yukin_done) October 27, 2023
もともと身体は丈夫ではなかったようで、独特の顔色をしていたのは印象的でした。
— 六衛府 (@yukin_done) October 27, 2023
◆習近平の暴走
李克強前首相の死去で、習近平国家主席の暴走を止められなくなった。中国のネタニヤフ。益々中国は「夜郎自大」の国になるようです。
李克強(り こっきょう、リー・クォーチアン)前首相は若い頃から「将来のリーダー」と目され、出世の階段を上ってきました。彼は1985年に中国共産主義青年団の副団長として日本を訪れ、当時の外務大臣であった安倍晋太郎氏とその秘書官であった安倍晋三氏らと晩餐会を共にしました。また、彼は同年に全国青年連合会の副主席を兼任しました。
さらに、彼は1985年春に大阪城の前で中国共産主義青年団トップで後に国家主席になる胡錦濤氏と一緒に写真を撮りました⁴。また、1992年には岩手県の小沢一郎氏の自宅にホームステイしたこともあります。
これらの経験から、李克強前首相は若い頃から日本と深い関わりを持っていたことがわかります。b-chat