[天皇陛下即位礼]10月22日、即位礼正殿の儀 国内外から2000人出席-産経◆天皇弥栄 | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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産経ニュース
10月22日、即位礼正殿の儀 国内外から2000人出席…
陛下は午前9時、皇居・宮中三殿で、即位礼正殿の儀などに臨むことを告げる儀式でご拝礼。皇后さまも拝礼されます。
午後7時20分から予定される祝宴には、即位礼正殿の儀に参列した諸外国の賓客らが招かれます。

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10月22日、即位礼正殿の儀 国内外から2000人出席-産経2019.10.21
 
 「即位の礼」の中心儀式「即位礼正殿(せいでん)の儀」が22日、国内外から約2千人が出席し、国事行為として皇居・宮殿で執り行われる。5月1日に天皇陛下が即位されてから約半年。陛下は改めて古式装束「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」に身を包み、玉座「高御座(たかみくら)」で即位を宣明される。

 陛下は22日午前9時、まず皇居・宮中三殿で、即位礼正殿の儀などに臨むことを告げる儀式でご拝礼。皇后さまも拝礼される。

 即位礼正殿の儀は宮殿「松の間」で午後1時に始まる。陛下が高御座に昇られた後、侍従が三種の神器のうち剣と璽(じ)(勾玉=まがたま)、国の印章「国璽(こくじ)」、天皇の印「御璽(ぎょじ)」をささげ持ち、高御座内の「案(あん)」と呼ばれる台に安置する。まとめた髪を後ろに長く垂らす「おすべらかし」にし、五衣(いつつぎぬ)と唐衣(からぎぬ)、裳(も)という十二単(ひとえ)姿の皇后さまは、隣の「御帳台(みちょうだい)」に立たれる。

 高御座の帳が開くと、陛下が即位を宣明するお言葉を述べられる。安倍晋三首相が松の間の床上で「寿詞(よごと)」と呼ばれる祝辞を述べて万歳三唱し、参列者も唱和する。秋篠宮ご夫妻をはじめ皇族方もご陪席。上皇ご夫妻は出席されない。

 国事行為として同日午後7時20分から予定される祝宴「饗宴(きょうえん)の儀」には、即位礼正殿の儀に参列した諸外国の賓客らが招かれる。宴席に先立ち、参列者には即位礼正殿の儀で使われた高御座と御帳台の観覧の機会も設けられる。

 
両陛下がオープンカーで皇居・宮殿から赤坂御所までの約4・6キロをパレードし、国民の祝福を受けられる国事行為「祝賀御列(おんれつ)の儀」は当初、22日に行われる予定だったが、台風19号の甚大な被害を考慮し、政府が来月10日への延期を決めた。

https://www.sankei.com/life/news/191021/lif1910210041-n1.html

 

 

 

首相官邸
【お知らせ】明日(10月22日)13時00分頃より、即位礼正殿の儀をYouTube首相官邸チャンネルhttps://youtube.com/user/kanteijp )でライブ配信する予定です。ぜひご覧ください。

 

天皇弥栄(すめらぎ いやさか)

 天皇弥栄(すめらぎ いやさか) 慶應義塾大学講師 竹田 恒泰

第6回 「すめらぎ」の意味について

■「天皇」と書いて何とよむ?
 小欄は「天皇弥栄」という名称を掲げている。なぜ「天皇」と書いて「すめらぎ」と読むか、それには理由がある。今回は「すめらぎ」の意味について考えてみたい。
 本来ならば「天皇」は「てんのう」と読むのが一般的であり、また訓読みしても「すめらみこと」と読む場合が多いため、むしろ「すめらぎ」はあまり耳にしない人も多いことだろう。しかし「天皇弥栄」という形で使用する場合、「天皇」は「すめらみこと」ではなく「すめらぎ」と読むべきなのである。
 まず「てんのう」は中国の音であるため、祝詞などでは大和言葉を用い、訓読みすべきである。だが、それでも「すめらみこと」「すめろき」「すめらぎ」など、読み方は複数あり、しかも読み方によって意味が異なる。


■「すめらみこと」か「すめらぎ」か
「すめらみこと」と読むと、特定の天皇、もしくは今上天皇を指すのに対し、「すめろき」と「すめらぎ」は、皇祖もしくは皇祖から続く皇統を意味し、古より続く皇統の連続性を含んだ文脈で用いられる。
 例えば「すめらみこと」の用例を調べると、いずれも特定の天皇か今上天皇を指す場合に限られるが、「すめろき」は八世紀後半に編纂された万葉集の福麻呂(さきまろ)歌集に「日本国(やまとのくに)は皇祖(すめろき)の神の御代より敷きませる国にし有れば」とあり、また同じ万葉集の大伴家持(おおとものやかもち)の歌に「ひさかたの天(あま)の戸開き高千穂の嶽に天降(あも)し須売呂伎(すめろき)の神の御代より」と見える他、「すめらぎ」は十九世紀の良寛歌に「すめらぎの千代万代の御代なれや花の都に言の葉もなし」と、特定の天皇ではなく、連綿と続く皇統を指す言葉として用いられている。


■日本人が最後に護るべきもの
 三島由紀夫は生前、日本人が最後に護るべきものは、天皇ではなく、敢えて三種の神器であると言った。「すめらみこと」と「すめらぎ」の意味の違いを考えると、この言葉の重みを改めて噛みしめることができる。もし天皇の玉体と三種の神器が同時に危機に瀕し、いずれか一方しか護れない場合は、玉体ではなく三種の神器を護らなくてはならないという意味だ。
 三島の言う三種の神器とは、すなわち皇統を意味する。皇統さえ守れば、天皇は継承されるが、玉体を守るために皇統を破壊してしまったら、元も子もないという発想だろう。
 ただし、玉体と神器が同時に危機に瀕するとは極端な譬えである。「すめらぎ」を護り伝えることに、誰よりも真剣に努力あそばすのが「すめらみこと」であり、我々国民は、「すめらみこと」を護ることにより「すめらぎ」を護ってきたのである。


■「すめらぎ」無くして日本は無し
 日本という国家が存在していることによって、我々日本国民が如何(いか)程の恩恵を受けているか、その程度は計り知れない。天皇を仰ぐ我が国の形が、他のどの国の形よりも優れているに違いなく、ゆえに一つの王朝が二千六百七十年も続いてきたのである。
 日本を滅亡させようと思っても、簡単にできはしない。核兵器が撃ち込まれようが、原発が事故を起こそうが、霞が関が火の海になろうが、日本は滅亡しない。ところが「すめらぎ」がなくなったら、それだけで日本は終わる。すなわち、「すめらぎ」が安泰であれば、我が国は安泰なのである。だから日本人が最後に護るべきは、皇祖から連綿と続く「すめらぎ」なのだ。
 日本の皇室が二千年以上続いたのは偶然ではない。それは必然であり、それなりの理由があってのことである。日本は神の国である。「千代に八千代に」と歌われる「すめらぎ」は、我々が努力を怠らない限り、必ずや神風によって護られ、未来永劫継承されるであろう。


http://www.hokkaidojingu.or.jp/sizume/column/takeda6.html
 

 

 

 

すめらぎ いやさか

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万歳三唱