■■[安倍首相]ソ連抑留中死亡者の慰霊碑訪問・平成29年9月6日(現地時間)◆叔父のつぶやき | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

☆BLOGの話題は、精神世界とリアルな現実世界の話題です。
巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

ソ連抑留中死亡者の小規模慰霊碑訪問-平成29年9月6日(現地時間)
https://youtu.be/wBT4fPrnlig

首相官邸
2017/09/06 に公開
ウラジオストクから北に40㎞。シベリア抑留中にお亡くなりになった同胞の慰霊碑に、本年も、手を合わせました。
酷寒の大地で、飢えや病に苦しみ、数多の命が失われました。遠い異郷の地にあって、ふるさとを思い、家族の幸せを願いながら、お亡くなりになられた方々。その御霊に、深く頭を垂れ、哀悼の誠を捧げました。

【首相官邸Facebookより: https://www.facebook.com/sourikantei/ ... 】
**************************************************************************

 

◆叔父のつぶやき

 

・・シベリアに抑留された叔父は栄養失調の体で帰ってきました。

姉である母は、食べ物を探し回って頭を下げていた。昔気質の必死さでした。

 

叔父は満洲で通訳警察官(満語、朝鮮語、漢語、そして簡単な露語)であったので、強制収容所(ラーゲリ)の通訳を命ぜられた。

命を拾ったのは通訳の仕事であったと呟いていました。

 

しかし余程のことが有ったのでしょう。

警官あがりは嫌われていた。

軍隊出身者でないので、洗脳工作係の積極分子(アクチブ)に殴られ、食糧は召し上げられたと・・ラジオから聞こえる某歌手の番組はすぐ消しました。一瞬、目が据わっているのです。

 

ロシアの歌が叔父の部屋から聞こえることがありました。

農家のロシア・オバさんは、親切だったそうです。食べ物を持たせてくれました。

その叔父も母も、今は故人です。

 

 

【ロシア音楽】祖国の歌 (Широка страна моя родная)

(日本語字幕)
https://youtu.be/VERt3s03FRE


2017/03/20 に公開 
その昔モスクワとハバロフスクから日本語放送を行っており、日本でも短波・AMラジオで受信できたというモスクワ放送のインターバルシグナルに、この歌の冒頭のメロディが使われていたそうです。元々の歌はレベジェフ=クマチ(В. И. Лебедев-Кумач)作詞、ドゥナエフスキー(И. О. Дунаевский)作曲により、1936年のソ連映画『Цирк(サーカス)』の挿入歌として作られました。映像は1961年、オペラ歌手イヴァン・ペトロフ(Иван И. Петров, 1920-2003)による歌唱。

 

◇「ダモイ(故郷に帰る)」
・・安倍首相は巡礼者です。

異国に眠る魂の慰霊に感謝致します。

さあ、共に帰らん。