その4[呪いの研究 中村雅彦]呪術の起源◆著者からのコメント | taroozaの不思議の謎解き 邯鄲(かんたん)の夢

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巡礼の旅で、危機に瀕する日本を感じました。
未来の孫たちへ、「日本人の霊的遺伝子」を繋げる責務が、今の世代にあります。

呪術の起源


  呪術の歴史は人類の歴史そのものでもある。
今から五十万年前、北京原人は、すでに遺体を埋葬するときにその周囲に赤い鉄の粉をまくという呪術的行為をしていた。

先土器時代、縄文時代、弥生時代と、呪術的な営みは連綿と続き、現代にも残っている。

 

  呪術とは、大自然の中にあまねく存在している眼には見えないパワーを、呪文(言霊、 真言など)や呪具を用いて自然から取り出し、集め、神霊や精霊と一体化することによってそのパワーをコントロールするテクノロジーのことである。このテクノロジーを専門技能として扱うのが呪術師(シャーマン)である。呪術師は、おそらく人類最古の職業であろう。

 

  太古の昔、われわれ人間が大自然の脅威にさらされて細々と生活していた頃、呪術師は共同体の中での智慧者であり、リーダーの役割を担っていた。自然の働きはカミの力の顕れであり、呪術師はカミと人を仲介して自然秩序を調節し、個人や共同体の運命を予見していた。


  天変地異、飢餓、病、事故死など、どうして人間は不幸や不条理に見舞われるのか。その原因を探り、生存に関わる問題を解決しょうと試みるのが呪術師の仕事であった。
この世の悲しみ、悩み、悪や魔の力に屈することなく、否定的な出来事を消し去る能力を持つ人間が生活共同体には必要であった。


  生まれつき備わった予知、透視、テレパシーのような特異な能力、トランス状態に入ることで神霊や精霊と一体化し、その意思を受け取る能力。呪術師はそのような能力を維持するために日夜修行していたはずである。やがて、彼らは共同体の中で特別な地位を占めるようになり、長(おさ)としてムラやクニを治める者も出てきた。邪馬台国の女王、卑弥呼もその一人である。
古代日本は、シャーマニズムと切っても切れない関係にある。

  シャーマニズムとは、神と人間との間を呪術師あるいは巫覡(ふげき)が司り、宗教儀礼によって神がかりとなり、神の託宣を告げる呪術的儀礼を意味する概念である。巫覡という語は古代中国で活躍した呪術師を指し、殷いんや周の王権に仕えた巫師ふし 以来、秦 漢の時代にも盛んだったようである。呪術師はカミと人間の宗教的仲介者として独立した人格を持つものというよりは、自己の意識が「神の領域」にまで拡張し、これと一体化 (憑依)できる特殊な血統および特性を持った人間のことをいう。


  日本では巫覡のことを巫女(ミコ)というが、これはまさに御子 /神子(カミの子ども)という本質を持った人間なのである。
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  そもそも、われわれ日本人は神仏に対してどのような観念や感性を持っていたのか。
日本の宗教的心性の源泉、源流はどのようなものなのか。
こうした伝統が失われ、霊性の空白期間を作ってしまった今では、探求するのも困難を極める。

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  森羅万象、自然には、想像と破壊、荒ぶる力と和らぐ力のサイクルがある。その自然の摂理の圧倒的な姿の背後に、人智を超えた大いなるもの、聖なるものの存在を感じ取るところから、日本の神道は成立していったものと考えられる。

 

  宗教学者の鎌田東二氏は、神道の起源を弥生時代以降の農耕文化に求める従来の学説に異議を唱え、旧石器時代以来の存在感覚、コスモロジーをベースにして、縄文、弥生、古墳時代以降のさまざまな文化習合、文化複合を通じて次第に成立していつたのが日本の神道であると論じている。したがって、上述したような神道的な感覚は、縄文人や旧石器時代人にもあったという立場をとる。


  また、歴史学者の武光誠氏は、日本のカミ信仰は、はるか縄文の昔から、村落などの一定の広さを持つ土地にいる精霊の集合体であつたと述べている。土地にとどまっている祖先の霊や、動植物の霊、居住地近くの川や森の霊などがひとまとまりになって 「国魂(くにたま)」と呼ばれる地主神になる。縄文人にとって、人間は自力で生きられる存在ではなく、自然の畏れ多い力によって生かされているというものだったのだろう。


  このように、カミは豊かな恵みを与えてくれる存在であると同時に、逆らえば恐ろしい災難を及ぼす「魔」、「鬼」 にもなる。カミの二面性を認めるのが古代日本人の精霊信仰の本質でもあった。このあたりが西洋的な善悪の分別、天使と悪魔の決定的な分離の考え方とは異なっている。


  日本の「魔」は怒らせると「鬼」になって祟られるが、きちんと祀れば恵みと救いを与えてくれる「カミ」でもあるのだ。

 

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・・[呪いの研究 中村雅彦]からの引用箇所は、現在の私が求めている情報なのです。

何故、激烈な不可思議な体験をするのかの解答を、探しているからでしょうか。

 

精霊の集合体が「カミ」となる。

鬼にもカミにもなる、変幻自在の存在のようです。

 

 

土取利行/縄文の音世界を求めて3prehistric sound research of japan T.Tsuchitori
https://youtu.be/MqrUB9RBgkM

2012/02/16 にアップロード
土取利行・縄文の音世界を求めて3
1990年放映

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◆著者からのコメント

 

「鬼」と自己愛‐人はなぜ呪うのか‐ 中村雅彦 ――PR誌「トランスビューNo05」より

 陰陽師が流行っている。 小説、 コミック、 映画、 ドラマで描かれる陰陽師、 安倍晴明は二枚目で格好いい。
だが、 私は実在した安倍晴明を格好いい男だったとは思っていない。 悩める都人みやこびとのため、 式神を駆使し、 敢然と悪に立ち向かう陰陽師は幻想にすぎない。 陰陽師は祈のプロ、 「拝み屋」 であり、 呪詛を執り行なっていた。 貴族間の出世競争、 天皇の世継ぎ問題といった理由から、 人の妬み、 恨みを請け負い、 政敵を呪詛したり、 呪詛された依頼者に憑いている 「生霊いきりよう」 を外し、 送り主に返す、 呪詛返しを生業としていたのである。


 人間関係のいちばんドロドロした部分に介入し、 依頼者の願望を成就させる仕事は、 普通の神経では請けられない。 冷徹に、 請け負った仕事に忠実になるだけであり、 私的な感情が入り込む余地はない。 呪詛の成否は、 呪術に関する専門的な知識に加え、 人並みはずれた気力、 念力が要求される。 呪詛する対象にも専属の祈師がつき、 霊的な結界を張っている。 対象を挟んで、 呪力と呪力がぶつかり合う壮絶な死闘が発生する。 少しでも気を緩めると、 たちまち命の危険にさらされる。 こうした目に見えない心霊戦を戦い抜いた者が、 依頼者から絶大な信頼を得、 専属祈師としての地位を不動のものにするのである。 安倍晴明もそういう拝み屋の一人だった。 死闘の連続に心身を蝕むしばまれ、 醜く朽ち果てていったのではないかと、 私は考えている。

 私はここで平安時代の話をしたいのではない。 ここに描いたようなイメージは、 二十一世紀を生きる現代人にもあてはまる。 陰陽師ブームの背景には、 私たちの心の中に巣くう 「鬼」 が影響している。 では、 人はいつ、 どのようなときに、 他人を呪いたくなるのだろうか。 キーワードは 「自己愛」 (ナルシズム) である。


 人から注目されたい、 ほめられたいという自己愛は若者に特徴的である。 一見、 自信にあふれているように見えても、 その自信は他者の評価次第で容易に覆される不安定さをはらんでいる。 彼らは、 自分が傷つかなくてすむよう、 親友ではなく、 広く浅くつきあう 「お友だち」 を持とうとする。 そして、 本音をぶつけあわない相手に対して、 内心では軽蔑や羨望、 嫉妬が渦巻いていたりする。 こうした 「友だち」 どうしの間で、 陰湿ないじめが起きたり、 「仲間」 を攻撃の対象としてキレるような子どもも出てくる。

 しかし、 これは若者や子どもの世界だけの話ではない。 いまや、 日本中に自己愛が渦巻いているのである。 自分が一番になり、 他人を蹴落とさないとやっていけない受験のシステムは、 学校を卒業しても会社や役所の中で延々と繰り返される。 また、 過度の自己肯定感が一方的な関係の強要につながると、 ストーカー行為や夫婦間のドメスティック・バイオレンスの原因ともなる。 自分が一番でなければいけない、 自分のことをもっと見てほしい、 けれども、 それをはっきりと言葉にすることができず、 人前では言い出せない人々は、 自分の価値を低下させたり、 自分よりも優位に立つ他者が現われると、 口ではうまいことを言いながら、 陰で相手を呪い、 食べ物に針を入れたり、 相手の持ち物を隠したりする。 学校や会社内で起きる陰湿ないじめ行為も 「呪詛」 の一種と見なしてよい。


 安倍晴明のような呪術師にあこがれる気持ちの中には、 自分の恨みを晴らしてくれる超人がいてくれたら、 という現代人の願望が見え隠れしている。 心が 「鬼」 で埋め尽くされた現代人は、 平安時代の人々以上に、 彼のような存在を待ち望んでいるのかもしれない。
(なかむら まさひこ/愛媛大学・社会心理学

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・・不幸にして我が子が、シャーマン(霊媒)体質者と分かったら秘してください。

あらゆる誘惑があるでしょうが、それは正義の仮面をかぶった、邪悪な者たちからの誘いです。

 

特に、呪詛民族コリアン系が、血ナマコになって探している。

オカルト新興宗教、スピ系組織に、網を張って待ち構えています。

我が子の人生を、邪悪な者にコントロールさせないでください。

 

・・完・・