『神憑(がか)り』とは、神霊や天尊、眷族や人の霊体を、己の肉体を依り代(よりしろ)として交信するとされています。
神憑状態の人を見た心裡学者は、自己催眠に掛かり易い体質(脳)に過ぎないと、分析するのが従来からあり、今も変わりません。
だが、自己催眠説と断定するには躊躇する不思議な事例がありました。
誘導催眠で被験者を調べると、訪れたこともない、習ったこともない外国の言葉を喋りだしたのです。
『応答型異言(おうとうがたいげん)』でした。
まして、日本人が訪れたこともない地方の言葉だったのです。
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『応答型異言(おうとうがたいげん)』。英語 responsive xenoglossy)は異言(真性異言)の一種で、朗唱型異言に対応する。
本人が知らないはずの言語を母語話者と意志の疎通が可能なレベルで用いることができる現象を指す。Wikipedia
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「本人の過去生の記憶」なのか、「霊体の憑依(ひょうい)」かで議論になりました。
応答型異言の現象から、自己催眠説は、早々に否定されました。
憑依と見做す方が多かったのです。
それから暫くして被験者は、その外国の地を訪れると、激しい「デジャヴ(既視感)」 に襲われました。潜在していた過去生の記憶と現地の光景が触れた(シンクロ)のでしょう。
誘導催眠も憑依の兆候もない白日でのことです。
デジャヴ現象から、私は「本人の過去生の記憶」と判断しました。
憑依する霊体は感じられませんでした。
一般的に、『神憑(がが)り』の憑依について誤解があります。
高度な憑依状態(預かった能力)では、対話のやり取りを憶えていないとの話しは誤解です。映画などの霊媒師の狂乱を指す印象でしょう。
介添えとして、憑依している正体や言葉を伝える審神者(さにわ)がいますが、本来、神憑(がが)りの結界の場には不要です。介入は拒絶されるでしょう。
音と瞑想の会 その1
http://youtu.be/hOi2X_9NCZQ
縄文の時代、天と地に掛かる神木に、「精霊」を磐笛で静かに降ろしました。
古い紳道の音魂儀式に、その片鱗が残っています。