Bonjour!



いかがお過ごしでしょうか。







キラキラキラキラキラキラ






私は今日は寝坊して
朝のお散歩ができませんでした^^;
ぐるっと回ってくると、
とても気持ちがいいのですがね。

睡眠をとりました。








昨晩、1〜2週間ぶり?にやっと元気が戻って
夜まとまった量を書いた反動で
起きられませんでした。
(この長い紙に書き始めて1年経ちますが、
このくらいの量を書くようになったのは最近のことで
まだまだ書く体力がないのです^^;)




最近、自分の幼少期〜小中学校…と
子育てとを
アレコレ考えて言葉にする機会が
なんだか増えました。
言葉にするって言っても、呟きです。
ノートや自分とお話ししている感じですハート

子育てって、結局は自分育てであることが多いなーと感じます。
親や誰それにされて
嫌だったこと、嬉しかったこと、
これだけはすまい!ということ。
そして子どもたちの出方笑い泣きと。
本当に楽しい体験であります。


そしてここ数日、言葉になったのは
「理想的な母親像を押し付けられるのは嫌!」
でした。笑い泣き
窮屈なんだよー。無理無理。


自分じゃ自由になろうとしているところだった
とおもうのですが、関所がありました。笑
義母です。
義母の名誉のために先に申し上げておくと
彼女はとても真面目で、いい教師でした。
感情ではなく、子どもにとってどうしたらベストかを
ちゃんと考えて行動できる先生。
そして私は人間的に彼女が好きです。
ちょっと、いやかなりプライベートでは抜けているのですが笑い泣き
そういうところも人間味があっていいなーと。

だからたぶん、嫌われたくない、とか
むしろ好かれたい、とか
子どもたち(孫たち)を基本的にこんなによく見てもらっているしな…という引け目だったり。
そんなようなものが歯止めとなって
「私の母としての自然体な在り方」を
したくても出来ない、みたいな。
苦しさがあったのです。
彼女の中の「母とはかくあるべし」に添いすぎていたのです。
それは、たぶん、
世間一般の正解です。
お手本だと思います。
誰に見せても恥ずかしくないような。

だけど、私には窮屈で。

誰が良い悪いではなく、
自分に一致しているかどうかの問題。


○○という風にして下さいと意見することが
怖かったのです。
でもそれって、つまるところ、
本当の意味で相手を信頼していなかったんだな
と気がつきました。


彼女は彼女なりの正解を良かれと勧めてくるのでしょう。
合っていたのか、辛くても歯を食いしばって合わせてきたのか、知りませんが、とにかくその方法で自分は成功体験をしたから、「そういうものだ」と。


それに気づいて、
(というか私はこういう解釈で自分の中で腑に落ちて)
あーお義母さんも頑張って「お母さん」をやっていたのだろうな
言葉を吟味して気を遣ってくれてありがとうございます。
まぁ正解はそうかもしれないけど
私にとっては窮屈だから
私の正解は別です、と
優しく伝えよう


と言うわけで、伝えました^^

そのあとまたバタバタしたので
私が言ったことに対して明確な議論?みたいのは
しなかったのですが。
同じこと聞かれたら、
今度はもっと冷静に言えそうな気がします。



進歩、進歩^^







嫌だなって思うことを考え過ぎると
その嫌なことにエネルギーを与えちゃうから
あんまりやらない方がいいかなって
基本は思います。

でも、どうしても胸につかえて
何度も頭に戻ってくるテーマは
「言葉にしてみて!」っていう、
そんなサインなのかもしれません。



言語化すると
なんともまぁ。
気持ちの良いこと。(当者比😂)



姿のなかったものに、形や彩り、重さが出来て
「あぁ君はそんなだったのね」
って分かってあげると成仏するというか😂



解きほぐし。

その時がやってきた時は、
どれどれ、と
やってみるのも
悪くないですよ^^


というお話しでした。


長々と、お読みくださりありがとうございましたキラキラ