
最初は、鵤さんとたった二人で街頭に立ち「石原慎太郎さんへ国政に復帰してもらい、石原総理の実現を目指そう!」と署名を集める所から、この活動は始められました。
そのうち、石原新党、石原総理の実現を目指す市民グループとしてコミュニティーFM局の番組に出演し、その活動を紹介してもらったりしていました。
http://members.jcom.home.ne.jp/1610510601/fmmimi3.html
いつの頃か、たぶん平成12年の第42回衆議院選挙後から、自由連合党首・徳田虎雄おじさまが、この運動に関わってこられました。徳田おじさまはオーナーでいらっしやる徳洲会病院の組織を使って大阪と熊本に同じ主旨の会を立ち上げる事に協力されました。京都の会などは『DO! 石原慎太郎』と云うタイトルの立派なサイトを立ち上げました。
福岡の父さま達も負けじと、石原都政のわづかな与党議員の一人、都議会民主党の土屋敬文さんをメインスピーカーとして東京よりお迎えし、大きなホールに500名程の観衆を集めて『石原総理の実現を』と銘打って大集会を開きました。この時はマスコミ各社も多数おしかけ相当話題になりました。
そんな西日本各地の「石原新党立ち上げを!」と云う声が、中央のマスコミまで注目し初め、読売新聞が記事にしたり、テレビ朝日の報道番組・サンデープロジェクトでメインキャスターの田原総一郎さんが都知事をゲストに向かえた際に「九州辺りで、石原新党の声が上げっているそうですね」などと尋ね都知事の腹をさぐる一幕があってたりもしました。
都知事は、こうやって世間、父さまたちを含めた、やマスコミがご自身の件について、ご自身の預かりしらぬ所で騒いでいる事について都の定例会見で毎回『名誉にして、迷惑な話しと』その気がないコメントを返していらっしやいました。
おかしな話しですが、父さまも都知事にはその気がないと考えていました。父さまは、その本音を回りに話しをしたりするものだから、「石原都知事を総理に」と自分がその運動の火中にいるのにおかしな事を云うやつだと思われたりもしていました。
都知事にその気がないと云う父さまの観測は、国会と国会議員の力では現在のわが国の社会構造を根柢から変える事はできないと云う独自の考えから来ています。
明治以来つづく現在の中央集権官僚統制型社会を屋台骨から入れ換える、覆す力は、地方各地に都市政府とでも呼べる程の政治的に過熱した自治体が生まれなければ育たないと考えています。中央の対極にある地方に独立した政治性が育った所から日本の構造は改編へと転がって行くと云うのです。都知事も、細部に亘っては、差異があるにしても中央政府の対極にあり、わが国自治体最大の政治性と財政力を有する東京都の行政庁官たる事が国政へ復帰するよりも、日本の社会全体や政治に対して大きな影響力を持つと考えていらっしゃると、「その気がない」都知事の会見を聞く度に父さまは思うのでした。
一方で、「都知事を首相に!石原新党を!」と云う運動は、都知事のような政治家が、今の日本には必要だと云うシンボリックな活動として意味が有り必要と父さまはこのグループの事務局をつづけて行きます。そんな所に妙に柔軟性がある父
さまですが、父さまのそんな意表をついた柔軟な行動が、福岡市長選挙や福岡県知事選挙で様々な誤解を生む事になります。
そんな父さまが急遽、なけなしのお金で航空券を買って上京して石原都知事と会う事になります。