エルヴィス・プレスリー・

ユースセンター


ユース・レクリエーション・センター


(Elvis Presley Youth Center / Youth Recreation Center)



ユース・センターの意味


学校でも家庭でもない

子供達を中心とした

若者たちが

自由に過ごせる「第三の居場所


主に子どもや若者を対象とした

スポーツや遊び、文化活動などの

「余暇(レクリエーション)を

楽しむための

公共・コミュニティ施設



エルヴィスはこの建設に

並々ならぬ


『熱意』情熱』

を注ぎました






エルヴィスが除隊した際に
ホノルルで開催した
Arizonaメモリアル建設チャリティ公演は
除隊後のコンサートでは有りません
でした


除隊後初の公演
メンフィスで行われ
ミシシッピ州テュペロにある
彼の生家の裏の土地に建設される
事になる


エルヴィス・プレスリー・ユースセンター
のためチャリティコンサートでした



そこへ辿り着くまでの
少し切ない物語です






1956年9月26日 


Mississippi-Alabama 

Fair and Dairy Show


ミシシッピ・アラバマ

フェア&デイリー・ショー


(Tupelo Fairgrounds




地域の一大農業・酪農フェアでした





全国区のスーパースターと
なって故郷テューペロへ戻ってきた
エルヴィスは、まさに街をあげた
最大の目玉ゲストのヘッドライナー
として迎えられました。


​「エルヴィス・プレスリー・デイ」の制定
フェアの開催期間中、ミシシッピ州知事や
テュペロ市長によって

『Elvis Presley Day』が宣言され

パレードの先頭を飾るなど街全体が
エルヴィス一色となりました










エルヴィスは1948年に13歳でメンフィスに

引っ越して以来、故郷トゥペロに本格的に

戻るのはこれが初めての大きな凱旋でした


すでに全米のスターになっており

この日は「Elvis Presley Day」と宣言され

キー・トゥ・ザ・シティ(市の鍵)も

贈呈されました




ギターの形の市の鍵







会場(ミシシッピ・アラバマ・フェア)は
1945年に10歳のエルヴィス
「Old Shep」を歌って5位入賞した
場所でもあり、特別な意味を持っていました



伊達眼鏡の少年がエルヴィス




それから11年後の1956年、全米を揺るがす
大スターとなったエルヴィスが
同じ農業祭の野外特設ステージに
「目玉ゲスト」として招かれ
伝説の里帰り公演を行いました。






印象的な衣装は

濃い青のベルベットのシャツ(昼の部)

赤いベルベットのシャツ(夜の部)です



これはナタリー・ウッドが

ハリウッド映画スタジオの

衣装担当に作らせた物で



9/1/56」という日付と

WARNER BROS.ワーナー ブラザーズ

「ナタリー・ウッド」

という名前が記されています










この2つの衣装は

グレイスランドには有りません。







​エルヴィスはクローゼットが服で溢れると
定期的に処分や整理を行っていました。
エルヴィスや
家族(ヴァーノンやデルタ叔母さんなど)は
着なくなった衣類を救世軍(Salvation Army)やグッドウィル(Goodwill)といった地域の
慈善団体へ頻繁に寄付して
いました。






デルタ叔母さんがエルヴィスに頼まれ
寄付用の衣服を山にして整理していた
まさにその時、このシャツも親族
に渡りました。


それは
いかにも太っ腹で身内に優しかった
エルヴィスらしいグレースランドの
日常風景でした





1960年代後半、エルヴィスがクローゼット
の洋服を整理・寄付しようとしていた際
従兄弟であるビリー・スミス
妻マリリン・スミスがそのシャツに
目を留めました。


彼女が「アラ!素敵なシャツラブ
褒めたところ、エルヴィスは気前よく
「持って行っていいよ」
その場でマリリンに譲りました。







このシャツは長年スミス家に大切に
保管された後、証明書(COA)
やマリリン・スミス本人による由来の
手紙が添えられて、
オークションに出品されました。

青のシャツの落札価格は
約37,500ドル
当時のレートで約400万円以上





赤シャツはどういう理由か
洗濯ミスなのか?😱

縮み上がり、さらに損傷した部分を
取り除くためか裾(裾丈)の一部が大きく
切り取られてなっているほか
内側のタグが失われている状態でした。  

しかし、タグも無くこの様な無残な形状でも
歴史的価値があると言うことで
こちらも高値で落札されました。






1956年10月18日(アラバマフェアの後)
ガールフレンドのバーバラ・ハーンと一緒に
バーバラが抱いているのはエルヴィスの母
グラディスの愛犬のスウィートピー











丈もかなり短く切られて

凄い変わりようですが😱

それを考えると今のグレイスランドの

衣装の保存状態は奇跡のようです







これ好きですラブ恋する乙女……的な






お互いに注目されても人目を気にしない
愛が勝るのでしょうか💘
熱量はナタリーの方が多そうです






夜の部の赤いシャツが見たかったのですが

夜なので…写真はとても少ないです









このアラバマ農業・酪農祭のエルヴィスは
最初からチャリティ目的な公演では

有りませんでした。


公演の前後にエルヴィスは生家を訪れます。

そこで知ったのが


自分が生まれた2部屋の家

その周辺の約15エーカーの土地

売りに出されている

ということでした




エルヴィスは市長に

提案します



 "自分が生まれた家と

その周りの土地が

売られているのを見た


この小切手を受け取って

イースト・トゥペロの子供達の為の

公園を作ってほしい "



そして、この日の2回の公演で得た

ギャラ全額(約1万ドル)を寄付しました。


パーカーも自分の手数料をこれに回した

と言われています。


この寄付により、市は生家と周辺の

土地を購入





エルヴィス自身が

貧しいEast Tupeloで育ち


西の裕福な地区の

子供達のように


自由に遊べなかった

経験から


東側の子供達にも

自由

公園やプールで遊べる

場所を作りたい





1956年9月
テューペロでの凱旋コンサートの収益
寄付だけではなく

翌年の1957年9月27日にも同じフェアで
凱旋公演を行い、さらに約1万4千ドルを
寄付して、ユース・レクリエーション・
センターの建設資金に充てました。



Countinue……



  エルヴィスで島はお祭り騒ぎ







↓このパーカーの両隣の人達が↓
エルヴィスのモノマネをして
勝手に成りすましたのです

向かって左がエルヴィス役
向かって右側がパーカー役

案外似ちゃったかもしれない🙄汗






パーカーが手に持ってるのは
ドイツにいた
エルヴィスからの電報です

エルヴィスがハワイでの公演を
既に快諾しているという
電報を
お披露目しているんですね



RCA経由 


バート・ナウハイム から


​ホノルル

ハワイアン・ヴィレッジ・ホテル 

トム・パーカー大佐宛



​大佐へ

トム・モファット、ロン・ジェイコブス

そしてKPOIラジオの全スタッフ

さらにはハワイ諸島のすべてのファンと

友人たちに心から感謝します。


もし可能であるなら、私たちの…

​除隊後初の生出演(公演)を

ハワイで行うという件について

私は大佐に全面的に同意します。


来年、最初の映画を撮影した後の

ツアー第一弾にこれを組み込めるかも

しれません。


あなたの友、エルヴィス・プレスリー

より


ドイツ、バート・ナウハイム

ゲーテ通り14番地





電報にある……
ツアー第一弾と言う所……えーんえーんえーん
……次が7年後になるなんて
今思えば普通の人より寿命短いのに(泣)
入隊期間と合わせたらツアー空白9年😢
恐ろしい空白期間です。


電報に書いてある除隊後初の
生出演は実はハワイでは無かったのですが
この時点ではハワイが
除隊後初の生出演の予定だった様です






これは1957年11月
エルヴィスが初めてハワイを 
訪れたときのエピソードです



1957年11月


エルヴィス初来ハワイと


世界初の

エルヴィス・インパーソネーター


事件簿




これはラジオDJの

ロン・ジェイコブスと

トム・モファット(Tom Moffatt)
本物のエルヴィスに近づけないので



自分たちで
エルヴィス作ろう
企画
ラジオの宣伝・ジョークです



ジェイコブスは後にこう振り返っています


「我々は絶対にエルヴィス本人には
会えない自分達でエルヴィスを
作ることはできる!



局の制作担当だった
ドン・ヴァーノン・タイラー(18歳)を
エルヴィスに似せて
車に乗せ、島中をドライブさせ、ラジオで
「エルヴィスがここにいる!」
と実況中継しました。



この事ががきっかけで
ジェイコブスとモファットは
本物エルヴィスと会い
コンサートの司会も務める事に
なりました



エルヴィスとトム・モファット




局の制作担当(またはDJ)だった
ドン・ヴァーノン・タイラー(18歳)は
身長・体格がエルヴィスに近かった。


タイラーにエルヴィス風の衣装
(当時のエルヴィス風の衣装ってどんなイメージ?
気になるなぁ〜)
漆黒色のウィッグをかぶせ
「偽エルヴィス」に仕立て上げる


ジェイコブスは
エルヴィスのマネージャー、パーカーに
見立てて帽子をかぶり
オープンカー(フォードスカイライナー)の
後部座席に偽エルヴィスを乗せて
オアフ島中をドライブ。




こんな車に乗っていたら勘違いするかも…


一方、スタジオに残ったモファットが
ラジオで実況中継


「エルヴィスが今どこどこにいる!」🚗
「ファンが集まってる!」🚘


と興奮気味に伝え、エルヴィスの曲を
ノンストップで流し続ける


偽エルヴィスはファンにサイン
求められたりもしたそうです。
街は一時的に「エルヴィス騒ぎ」
で盛り上がりました


本当かなぁ〜?

エルヴィスは超絶ハンサム
間違える~?🤔


" 実際に間違えたそうです "

興奮したティーンエイジャーたちは
「本物だ!」と思い込むか、少なくとも
本気で反応しました


ロン・ジェイコブス自身の回想でも、
スタジアムに偽エルヴィスを乗せた車で
入った際にファンが大騒ぎになり、
危うく捕まりそうになった、という話が
出てきます。


大佐パーカーもこのスタントをラジオで
聞いて「一番面白いことだった」と笑って
彼らを呼び出したと彼らは
語っています。


呼び出されて叱られると思って
ビクビクしていたら
褒められた!のが2人にとって
キャリアアップに成りました


現地のラジオが彼らでこんなに
盛り上げてくれたことに大喜び


本物の大佐トム・パーカーがこの放送を
聞いて大笑い。後で二人を呼び出し
こう言ったとされています


「お前ら、エルヴィスでこんなことを
やったのか? 人生で聞いた中で一番面白い!」
「明日の司会、お前らやれ」
と決まってしまった、というのが
本人たちの証言です。


その結果、ジェイコブスとモファットは
本物のエルヴィスに紹介され

11月10日のホノルル・スタジアム公演の
それぞれが

午後の部は【トム・モファット】
夜の部は【ロン・ジェイコブス】

司会を務めることになりました。


あのラジオ・スタント
(偽エルヴィスを島中に走らせて
「エルヴィスが来た!」と実況した企画)は
単なる「面白い宣伝」で終わらず


この事は2人にとって
本物の大佐パーカーとエルヴィス本人に
会えるきっかけと成るだけでなく


ジェイコブスはこれ以降、大佐パーカーと
約40年にわたる親交を深め


後に有名なラジオ特番
『The Elvis Presley Story』
プロデュースするまでになります。


『The Elvis Presley Story』
とは
エルヴィスの生涯を幼少期から
当時までを詳しく追った本格的な
【ラジオ伝記番組】


約70人以上の関係者の
インタビュー音声を大量に収録し
稀少なテープや約150曲の楽曲
交えて構成されています。


当時としては非常に意欲的で、エルヴィスの「伝説」ではなく
「人間としての姿」に迫ろうと
した点が評価されました。


全米の主要ラジオ局を中心に広く配信され
後にレコードやカセットでも発売され
たりもしました


1971年の初版(12時間)と、
エルヴィスが亡くなってから
1977年の更新版(13時間)が出来ました


13枚組のレコード(ビニール)BOXセット
10本組のカセットテープボックスで発売
後に2021年にCD化されました。


YouTubeで全部を公開してくれている人が
居ます💦🙏ありがたいですね💕😭


これは全部で13有りますので
最初に上げたこのYouTubeから
順番に13まで聴けば全部聴いたことに
なります
この人のチャンネルに全部上がっています


*(1977) The Elvis Presley Story (1)
 "The Early Years"
(これはNO.1です)



初期からキャリアの軌跡を時系列でたどる
内容となっています。
主に以下のテーマが扱われています

番組前半の主なチャプター

①The Early Years(初期の時代)
幼少期から音楽に目覚めるまでの背景





②The Sun Records(サン・レコーズ時代)
伝説的なレコーディングスタジオでの
最初の録音とキャリアの出発点


こんな感じで発売されてますが
日本では今の所発売されていません


③Presleymania part Ⅰ
(プレスリー狂時代前編)
社会現象となった爆発的人気の上昇気流

④Presleymania part II
(プレスリー狂時代・後編)
 さらなる熱狂とスターとしての確立

⑤ 映画界への進出と初期の主演作
 (エルヴィス・ザ・ペルヴィス戦争へ行く)

⑥陸軍への入隊とドイツでの兵役生活
 ホームカミング

⑦除隊後のカムバックと1960年代の
    映画黄金期

⑧ハリウッドでの苦悩と音楽性の模索
(映画スター時代 パート2 / ラスベガス万歳)

⑨1968年の伝説的なテレビ特番
(カムバック・ スペシャル)

⑩ラスベガスでのライブ活動再開と
     黄金期の再来

 ⑪ 1970年代のスタジアムツアーと
     世界的な熱狂

⑫ 彼のレガシーとロックンロールの
     王様としての功績





この様な構成になっています
タイトルだけでも圧倒的なボリュームです
1975年の改訂版(拡大版)で追加された

⑬パート13(Disc 13)のタイトルは
Elvis finally talks(エルヴィス、ついに語る)


エルヴィス自身の独白(肉声インタビュー)
タイトルの通り、エルヴィス本人が自身の
これまでの人生、キャリア、そして音楽に
ついて深く振り返る貴重なインタビュー・
音声がフィーチャーされていると

有りましたが、YouTubeでNo.13を
ざっと聴いたら
インタビュー部分はちょっと見当たらず
じっくり聴いたらあるのでしょうか……
後でじっくりと聴いてみます
(正直な所まだNo.1しかじっくりと聴いてない😓)

製品には有るのかな?









勿論英語で字幕も無いですが

まるで湧き出る泉の様に
そして早送りで芽吹く若葉の様に
流れてくるエルヴィスの歌声が
これでもか!と言う程
リズムよく続きますが

音楽はノリとリズム重視……💦
ノリノリですが、ヤングでは無いので
最後までこんな感じでは厳しいと
感じ始めた頃

途中から
インタビュー⇒⇒インタビュー⇒
こんな感じに……


①The Early Years(初期の時代)
の内容を大まかに!

エルヴィス一家が
ミシシッピ州トゥペロからテネシー州
メンフィスへ移住した頃
(エルヴィスが13歳頃、1948年頃)

音楽はエルヴィスのOld Shepが
流れたりします

地元メンフィスの人々や幼なじみや友人
回想が挿入され

一家が非常に貧しい暮らしをしていたこと。
近所の人や住民が、プレスリー一家を
「普通の、控えめな家族」
として覚えていたこと。

エルヴィスが母親との絆が特に
深かった様子や
移住後すぐに始まった生活の苦労や
近所での日常的な様子

ヒュームズ・ハイスクール時代の話は
ジョージ・クラインの語りが
入って大体の内容はこんな感じだと
思われます。

過去のインタビュー等を参考にしています

「ヒュームズ高校は、かなりタフな
学校だったよ。エルヴィスはギターを
学校に持ってきて、友達の前で歌ったり
クラスで披露したりしていた。

1953年、彼は学校のタレントショーで
歌ったんだ。みんな驚いて
アンコールを要求したよ。 

彼がギターを持って廊下を歩いている姿を
よく見た。

他の生徒は誰もそんなことしなかったから、
目立っていた。

最初は変わった奴だと思われていたけど
歌い始めるとみんな引き込まれていったんだ。」

トニー・カーティスの様な格好を
していたとか、髪の毛は長かったとか
容姿の話も同級生がしています。


他に
Crown Electricでのトラック運転手時代
仕事中にラジオで聴いていた曲(「Harbor Lights」など)のメドレーが流れ
「Harbor Lights」が当時のお気に入りの曲
の一つだったこと

エルヴィスが当時どんな音楽に触れていたか

40分頃から流れるさまざまな曲は、
エルヴィスがよく聴いていた曲のメドレー

当時彼が影響を受けていたGospelなど

特にブラックウッド・ブラザーズに
エルヴィスは少年時代から非常に影響を受け
(白人ゴスペル・カルテット)

エルヴィスは彼らのコンサートにも出かけ
ラジオでもよく聴いていた。
特に彼らの歌い方やハーモニーに強く
影響を受けたと言われているとして

番組内で「He Knows Just What I Need」
をブラックウッド・ブラザーズと
エルヴィスの聴き比べなどやっています。

どうしても
エルヴィスの方がいいなぁ〜😁💖



「He Knows Just What I Need」
ーElvis Presleyー



テキスト化されないかなぁ……

時間あった時に全部
聴いてみるのをお勧めしますチュー






END


  千玄室大宗匠


千玄室せんげんしつ大宗匠だいそうしょう


茶道裏千家の第15代家元


世界各地で茶道を通じた

平和友好活動に尽力した

日本の代表的な茶人です



1923年(大正12年)4月12日生まれですので

1935年のエルヴィスとは

ひと回り違いの同じ干支で『亥』です







エルヴィスとハワイの続編
はずでしたが、その前に
知らなかった事を偶然知りました。

アリゾナ関連の事を随分と調べて
いたのに……

エルヴィス側からしか
見ていなかったからだと思います。




NHK

【映像の世紀バタフライエフェクト】

8月24日放送

『特攻・若者たちの絶望と祈り』





番組ではアリゾナ・メモリアルと言う言葉は
出てきませんでしたが

裏千家の千玄室が
アリゾナ・メモリアルの中で献茶
していたのです。







何度も見た
Arizona・Memorial びっくりマーク
一瞬のワンカットでしたが直ぐに
分かりました。
全く知らなかった事なので調べました。


本名 千 政興(せん まさおき)

2025年8月14日没
102歳で亡くなりましたが
100歳の時には、元気に徹子の部屋に
出ていらっしゃいました。


偶然にもエルヴィスの母と
同じ8月14日でしたね





千玄室さんは
同志社大学在学中に
20歳で徴兵されました





エルヴィスは
キャリア絶好調時に
22歳で徴兵通知を受け取り
23歳で入隊しました






学徒出陣猶予停止に伴い徴兵され
海軍へ入隊しました






中段右



入隊後に
特別攻撃隊(特攻隊)へ志願

徳島航空隊の特攻隊「白菊隊」に配属
出撃直前で終戦






「死んでいった仲間たちの分まで
二度と戦争を起こさない世界をつくる」
誓い


一碗からピースフルネス

(peacefulness)を



という理念を掲げます
peacefulnessは
「平和」「平穏」「安らぎ」「穏やかさ」


終戦から5年後27歳の時
真珠湾のあるハワイへ渡米


ハワイ大学へ留学し西洋の文化や
英語を修得し、同時にハワイ大学を拠点
として海外へ茶道を広めていきました。



エルヴィス15歳〜17歳
ロウズ劇場でアルバイトをしていた時期です





勿論アリゾナ・メモリアルはまだ
ちゃんとした形になっていませんでした






千玄室大宗匠の生涯を通じて
掲げていたのは
敵味方を超えた
慰霊と平和の祈りでした


今回の事がここに繋がっていきました




太平洋戦争の発端となった真珠湾
千玄室にとって特別な意味を持つ場所でした

1950年代の初渡米以降
ハワイを訪れるたびに真珠湾を訪問し
太平洋戦争の
戦没者を悼む活動を続けました。








USSアリゾナ・メモリアルでの
平和祈念献茶式


「USSアリゾナ・メモリアル」にて
敵味方の区別なく全戦没者を慰霊
世界平和を祈願する
献茶式(お茶を捧げる儀式)
を執り行っています


「私は88年の人生を生きてきたが
今日のこの式は個人的に、最も心に残る
ものになるだろう」



向こうに戦艦ミズーリが見えますね




元特攻隊員である自身が、かつての宿敵
であったアメリカの軍関係者や遺族
見守る中でお茶を点てる行為
真の和解と平和の象徴として
世界中で高く評価されました。







世界を周り
「一碗からピースフルネス」を掲げ
その平和活動が認められて
世界各国から最高位勲章
多数貰っています

フランスからはレジオン・ドヌール勲章
​ナポレオン創設のフランス最高峰の栄誉

タイからはタイ王冠最高位大十字勲章
​タイ国王室から授与される極めて
格の高い勲章

ペルーからはペルー太陽勲章(大十字章)
​ペルー国家最高峰の栄誉

​その他の授与国・国際機関(一覧)
​ドイツ、イタリア、ブラジル、
UAE(アラブ首長国連邦)、中国、
リトアニア、ウルグアイ、
ユネスコ(親善大使) ほか多数


勿論日本からも文化勲章  
​文化功労者  
​勲二等旭日重光章  
紫綬褒章 / 藍綬褒章を受賞



エルヴィスもまた
天から授かった圧倒的な才能と影響力を
決して自己満足や名誉のためだけに
使いませんでした


自らの持てる圧倒的な影響力を
自分自身のためだけに留めず
世界平和や人々の幸福という
大義や志(こころざし)のために
全霊を捧げた姿は何処か重なります






2011年7月:真珠湾攻撃から70年
前にした節目の献茶式で
アリゾナ・メモリアルの上で
紋付袴姿でお茶を点てる姿
大きく報道されました



この場所は
エルヴィス一人の功績
では無いですが
大きく貢献した記念碑です
それは決して
忘れてはならない事実です





千玄室が真珠湾で捧げた
「一碗のお茶」




その祈りを受け止めた

USSアリゾナ・メモリアルは

かつて1961年

エルヴィスが情熱とコンサート

建設資金を呼びかけ、完成へと導いた

場所でもありました。



『音楽』『一碗のお茶』交差する平和への祈り



エルヴィスが音楽情熱

メモリアル建設の礎を築き



その数十年後に

日本の元特攻隊員である

千玄室が「一碗のお茶」を通じて

日米の和解平和を祈りました



​「動」の音楽が放つ熱狂

「静」のお茶がもたらす静けさ



ジャンルや立場は違えど

「かつての敵味方を超えて命を悼み

平和を願う」という強い想いが


アリゾナ・メモリアルのあの一点に

見事に結びつきました






エルヴィスの情熱から始まり

メモリアルが形を成し


こうして平和への祈りに繋がっています


たぶん、私たちが知らないところでも

姿を変えて


同じ祈りは今も静かに 

行われているのだと思います。



「異なる人たちの想いが

あの場所に美しく収束した」


という事実を改めて知り


平和な中で

エルヴィスの歌を毎日聴ける事を

噛み締めています









特攻隊員の仲間に
茶を点てている千玄室






特攻隊の仲間たちに
点ててきたお茶を

今度はアリゾナに眠る
兵士たちにも捧げました。










そっと涙を拭うエルヴィス






どんなに想像しても
結びつかないように思えた
裏千家の茶道と、エルヴィスの
ブロック・アリーナのコンサート

エルヴィスが貢献した
アリゾナ・メモリアルで
茶を点て、平和への祈りを捧げる
元特攻隊員の家元

決して交わることのなかった筈の
二人の物語と人生が交差した一連の話は
とても素晴らしいと思いました。



END