Hampton Coliseum1972年4月9日(バージニア州ハンプトン市)(午後と夜の2回公演) 





この日の夜公演(8:30pm)
が特に多く使われており、エイベルが
「最高の素材」と絶賛した
パウダーブルーのジャンプスーツ
(Blue Nail suit)を着たエルヴィスの
パフォーマンスが中心です。







ブレスレットもしっかり貼り付いてる
チュー



映画のコンサートシーンの大半がここから
来ていると言われています。







あの夜、彼はパウダーブルーの

ジャンプスーツを着ていました。

本当に魔法のような夜でした。



でも私たちはもっと欲しかった。 

いいコンサートだけではいい映画には

ならないんです。ずっと、私は

『十分な素材が撮れていない』という全体的な落ち込みを感じていました



その結果、エイベルとアディッジ、

そして彼らのカメラマンたちは、

エルヴィスがホテルの部屋を出た瞬間から、

ほぼどこへ行くにも

付きまといました



楽屋へ、ドレッシングルームへ、 公演後のリムジンへ、

そしてチャーター機の中まで。



ロアノークの市長が街の鍵を贈呈した時

その鍵はギターの形をしていた

エルヴィスは、ダークブルーの

ハイカラーのスーツを完璧に着こなし、

非常に丁寧にその栄誉を受け取った。



こうした公の場や半公の場では、

そしてその他のすべての場面で、

エイベルによると、エルヴィスが

見せたのは礼儀正しさと

側近たちに対する陽気で男らしい

仲間意識以上のものではなかった。

↓↓↓

分かりやすく言うと

エルヴィスは彼ら(撮影監督達)に

礼儀正しい態度と愉快なやり取りだけ

の姿を見せるだけで

内面をほとんど明かさ

無かった。






ある時、非常に攻撃的で迷惑なファンに

対しても、エルヴィスは

決して冷たくせず


『その人の特別な瞬間を

台無しにしたくなかった』



彼は汗だくで、首にタオルを巻き、息を荒げて、とても緊張した様子でした。

ジャクソンビルでのことですが、

観客の女の子がステージに駆け寄って

指輪を掴もうとしたときに指を切ったんです。側近たちはその傷を大騒ぎしていました。



でもエルヴィス本人はそんなこと気にも

留めず、『どうだった?』

聞きたがった。(このシーン有りましたね)



『いいショーだったよボス!』



とみんなが答えるんです。

そして、私はある瞬間を捉えたと思います。


彼は退場時に観客が押し寄せてきて、

警備が十分じゃなかったと言いました。

自分がいいパフォーマンスができなかった

と感じていたんです。


側近たちが話し始めたけど、エルヴィスは

それを聞き流して、窓の外を眺め始めた。

(このシーンも象徴的でしたね)



あれは全体でほんのわずかなフィルムでした。私たちが撮ったおよそ10万フィート

約50時間分のフィルムの中

から、まさに探していた無防備な瞬間

だったんです。

(50時間だなんて…気になって仕方ないドクロあせる)



彼の目に遠くを見るような表情が浮かんで

いました。

彼らはちょうど橋を渡るところでした。










「彼は何百回、と同じ事を繰り返して

きたんだろう。そして私は思った

17 歳の頃はどんな気持ちだったんだろう…



ハリウッドに戻ってから、

ジェームズ・バートンに頼んで、

サウンドトラック用に『Don't Be Cruel』

ファンキーなスローダウン・バージョンを

録ってもらいました。



ムービオラ(編集機)にグリースペンシルで

エルヴィスの顔の位置をマークし、



私たちが集めた何百枚もの

古い写真を一つずつ捲って

いって、ようやく一致する

ショットを見つけました



それは彼が17歳のときの写真で、

列車の窓の外を眺めているものでした。

そして私はマッチ・ディゾルブ

(映像を重ねて溶かす技法)をかけたんです。



私は何千枚の中から………(・・;)

君達は甘いな!ニヤリ





これは監督の大間違いですね!汗

Alfred Wertheimerの1956年の列車シリーズ

での一コマでしたよ。

17才では有りません、

デビュー前の高校生になっちゃう



この写真が使われました







お〜い💦
Abelに伝えたい!もう遅いけど……

これも使ったら
良かったのに!
全く同じ表情ですよあせる




孤独を表していると思うけれど…
あんなに沢山のキスシーン入れる
くらいだったらね……もやもや💧





私が伝えたかったのは、この男はもう

17年か18 年もこの生活を続けていると

いうことでした。


(途中は映画俳優でしたけれど、それも

含めての、エルヴィスの孤独を

身近に感じたのでしょう……💦)



どれほどの孤独を感じて

いたことだろう!



現在の疲れたような表情のエルヴィスが、

ゆっくりと若い頃の写真に溶けていく......


エイベルが狙った「長年の孤独」

というテーマが、静かに、でも強く

伝わってくる名場面です。







撮影したフィルムは毎日ロサンゼルスへ

空輸され、現像処理されたので、

ツアーが終了した翌日から編集作業を

始められるようにしていました。 



同時に、リサーチスタッフは1950年代の

写真をさらに集め、

スティーブ・アレン、ジャッキー・グリーソン、エド・サリバン出演時の初期の

テレビ映像も入手していた。



一方、別のスタッフはエルヴィスの映画

から恋愛シーンをすべて切り出し、

彼が共演女優たちとキスするモンタージュ

を作成し始めていた。




当初、エルヴィスコロネル

古い写映像の使用に

大反対していた。



エルヴィスは過去の

反体制的イメージ

払拭するために努力してきたし、

歴史的な回顧という形であっても、

そんなイメージを

再び出したくなかったのだ。


(50年代の熱狂的なコンサートの様子など

入れたかったと予想しますが…)





反体制と思われるのが

本当に嫌だった

ただ

好きな音楽を

していたいだけだった







友人であるアラン・フォルタスが
実際にこの様子を見たらしく………
バックフリップする少女達に驚愕したと
書いていました。

思わずバックフリップを調べてしまいました
本来は「後方宙返り」の事ですが
強く仰け反るという事でしょうね。




インタビュー等

中々説得出来ずに苦労して、

最終的に

アシスタント・フィルムエディターとして

エイベルとアディッジの

チームに加わっていた

ジェリーシリングが、

エルヴィスのもとへ行き、説得



ジェリ一は自宅で一人で歯を磨いている

エルヴィスにまで付いて行き

エルヴィスを捉まえ熱心に訴え

エルヴィスはついに折れた

相当苦労したようですね。



また別の時は、ジェリーは今度は

ジョー・エスポジトを同伴して

エルヴィスのもとへ行き、

二人がかりで説得した。

アディッジとエイベルに

インタビューを

させて欲しいと頼みこんだ。


「エルヴィス、聞いてくれ

彼らがやりたいのは、

パフォーマンスやリハーサルについての

あなたの考えを聞いて、それを写真や

フィルムの映像に

あなたの声で重ねる

事なんです」



エルヴィスはインタビューが好きではなく、

コロネルのポリシーにも反していた


それでも、また

彼は折れた……



ふざけては居ないですけど
国民放送のN◯Kにエルヴィスの
プロジェクトXやってもらいたいウインク
ピッタリだと思う
『それでも又彼は折れた』という所の声は
田口トモロヲです爆笑
もう私の脳内は完全にプロジェクトX📺
ビートルズだって取り上げていたの
(来日公演の警備の話でしたけどね、
それでも感動しましたよ!日本の警備の
素晴らしさが、後から感謝された話など。)
だから、出来ない事は無いと思う。






 


 

Continue……






あら、ジャケットの裏地が
水玉模様!
ハワイコンサート
 アロハ from ハワイ (Aloha From Hawaii
思い出しますよね~💕

日本人ファンがエルヴィスの首に
掛けてあげた水玉模様のスカーフ
『豆絞り手ぬぐい』かと
思っていたら💦
まさかのシルク(多分)の
スカーフだったとは😱






知らなかったわぁ〜

スカーフがツルツルする素材
だったので
滑り落ちちゃったそうです😢




だって、受け取ったエルヴィスが
なんだ?って
スカーフ見てたから…🤨
見慣れない手ぬぐいだから見たのかと
思っていました💧



この様なスーツも
『ON TOUR』で着ていたのですねラブ



1週間後、エイベルとアディッジは、
ただし確約はできない仕事が
決まったとエルヴィス側から知らされた。
含みのある言い方ですね……

コロネルはいつもこういう駆け引きを
するのだ。エイベルがロサンゼルスで
クルーと機材を準備している間、
2人のうちより人懐っこいアディッジは、
パーカーと一緒に72時間のジェット機での
視察ツアーに出かけ、
4月にエルヴィスが演奏する予定の会場を
下見して、撮影に最適な場所を探した


エルヴィスと本格的にツアーに同行する前に、 彼らはまずMGMのカルバーシティの
レコーディングスタジオ撮影を行った。


3月27、28、29 日の3日間、
エルヴィスと彼のショーバンドは
カメラの前でリハーサルをし
冗談を言い合っていた。


エルヴィスとミュージシャンたちは
3日間で7曲を録音し
1週間もたたないうちにニューヨーク州
バッファローへ向かった。



縁起の良いお正月風な衣装 
ベルトは水引みたい🎍
プリントして玄関に飾っても良かったな💦



エイベルとアディッジは南部にある
4都市を主要な撮影地に選んだが
エイベルはエルヴィスのレパートリーや
ステージ上での動きに慣れるため
バッファローにも同行した。


「彼は真っ暗なステージに登場しました。
オーケストラが
『ツァラトゥストラはかく語りき』 
を演奏し始めたんです。


あの曲はまさに
光のための完璧な音楽でした。 
会場は完全に暗闇に包まれていて、
 突然、眩しいほどの閃光が――
それは1万5000個のインスタマチック
カメラのフラッシュバルブが一斉に
光ったんです。


ある女性が通路を全速力で駆け下りてきて、 
ミサイルみたいに、飛び出しました。
......4列後ろから一気に跳躍してダッシュ
空中を飛🤸んで、
ステージにドスンと
着地し、🦭ダッシュマリンランドで
アザラシやセイウチが滑るみたいに叫び叫び叫び
スーッダッシュダッシュと滑っていったんです。
その後、彼女どうしたのでしょうか?


エルヴィスは彼女が飛んでくる
のを見て横に避け彼女はそのまま
ドラムセットに突っ込んでいきました。

あの瞬間、私は思いました――こういうもの
を映画に入れなきゃいけないんだ。と

入れなくて良かったですよ……💧
それこそ猫のシーンと同じです。


バッファローは厳しい冬の後でまだ
雪解け中だった。そこでエルヴィスと、
随行員50~60人とともにデトロイト、
デイトンへ向かい、それから南部の暖かい
地域へ飛び込んだ。

観客の熱気も南部の方が高い
わかっていたからだ。




この写真はエルヴィスも気に入った
らしく額縁表装されてグレイスランドに
飾ってありました。

恋人ジョイスがグレイスランドに来た時に
気に入ったと言ったら、プレゼント
してくれたそうです。
君に愛を込めて贈るとか裏面にサインと共に
書いてありました。



ノックスビルでは午後と夜の2回公演、 
ハンプトン・ ローズでも2回、
それからリッチモンド、ロアノーク、 
インディアナポリス、シャーロット、
グリーンズボロでそれぞれ1回公演。
続いてメイコンとジャクソンビルで
ダブル公演、リトルロックと
サンアントニオで夜公演。
そしてツアーはアルバカーキで締め
くくられた。

(その膨大なフィルムは🤔どうしたびっくりマーク)


15日間で19公演すべて 
巨大なアリーナや
コロシアムで行われた。

今回も全公演完売で、エルヴィスは
1公演あたりおよそ10万ドルの収入を得た。 

(だから〜『SOULD OUT』って
有ったのですね)






「バッファローでショーを下見したとき、
3/4インチのソニー・ポータパック
(※日本製が使われていたのは嬉しい)
持って行ってコンサートをビデオ撮影
しました」とエイベルは言う。


「音楽を研究したり、彼のすべての動きを 
研究したりするためです。そうすれば
本番の撮影に入るときには、ショーの
振り付けを完全に把握できているはず
でした。

私たちのために働くカメラマンには、 
私が撮ったテープを必ず見て貰う事に
しました。すべての動きを知っておく為です。

サンアントニオに着いて音楽が始まったら、
あまりに音が大きすぎてカメラマンたちと
連絡を取るなんて不可能だと分かって
いましたから」





4月9日になってもドクロあせる
彼らはコロネルから
最終的なGOサインを貰えて
いなかった

私達は徹底的にコロネルを喜ばせようとした。

午後のマチネ公演でカメラの動きを
リハーサルし、夜の本公演で本番撮影を
行い、それから急いでフィルムを
ハリウッドに送り、現像してもらい、
翌日コロネルに会って、地元のホールで
16mmプロジェクターを使って
音なしで上映して見せた


コロネルは、私たちの仕事ぶりを観察し、
報告も受け取っていたと言って、
私たちが素晴らしい仕事をしていると
確信していると語りました。


「君達を誤解していたが、
これからはステージ上なら
何を撮っても構わない
邪魔はしない全面的
祝福する」と言ってくれたんです。


「ただ一つ僕達は貴方にお願いがあります。
もっとエルヴィスに近づかせて
欲しいんです


コロネルはエイベルをじっと見つめてから、
こう言った。


「君たちが約束を守れば、
俺も約束を守る」


その後、コロネルは15分間にわたって
話し続けた。
一見、脱線した独白のように見えたが、
そうでは無かった。
メッセージははっきりと伝わってきた。


「彼は長々と語り始めたんです。
過去にどれだけの人がエルヴィスを裏切り、
利用してきたか、自分だけが彼の
イメージを守ってきたか、 
どれだけ慎重でなければならなかったか、
という話です。


そして、カーニバル時代のこと――
客をショーに入場させるため料金を取り
出口を出たところでまた料金を取って
ロバ乗りを提供した話。

出口の外のエリアには新鮮なゾウの
フンがたくさん撒かれていたそうです。
(ロバに乗らなきゃ糞を踏んで帰る事になる)
彼は私たちに言いました。


『俺を騙そうなんて考えるなよ、そんな事したら首まで
ゾウのクソまみれにするぞ』


まるで彼が監督で、私達が
エルヴィス・チームに新加入した選手
みたいでした。
私達を認めてはくれましたが同時に
プレッシャーもかけてきました。
コロネルは完全に自分を
“唯一の守護者”として位置づけて
いたのです。


「さあびっくりマーク

とコロネルは独白を締めくくり、
声を張り上げた。


史上最高の
ELVIS PRESLEY
映画を作れ !


そう言いながら、彼はステッキを振り上げ、
椅子の近くのホールの床にドンと叩きつけた。




「ハンプトン・ローズは最高でした。
あそこが私たちが撮った中で一番良かった。
すべてがうまくいったし、
初日の夜に撮った素材が結局
映画のほとんどの部分に使われたんです」


ハンプトン・ローズ(Hampton Roads)
は、バージニア州南東部の海域および
それを取り囲む海陸域両方の名称

Hampton Roadsは地域名で、
会場は正式にHampton Coliseum
1968年建設の円形アリーナ、収容
約1万人以上)。当時はまだ新しくて、
Elvisの公演で大盛り上がりだったそうです




Continue…


ELVIS ON TOUR ―Robert Abel―製作秘話 



ロバート・エイベル

(1937年3月10日 - 2001年9月23日)は、

視覚効果、コンピュータアニメーション、

インタラクティブメディアにおける

アメリカの先駆者です。




彼は、ゴールデングローブ賞

(『エルヴィス・オン・ツアー』)

エミー賞2 回、クリオ賞33 回など、

数々の栄誉を受けました。


エルヴィス映画では唯一の受賞です





左側からプロデューサーのSid Levin
製作会社 のPierre Adidge &Robert Abel
後ろに見えるのは膨大な
エルヴィスの記録テープ……
全部公開されて居るのかな?
気になる!



語られる話はこの期間

【1972年2月~1972年5月】


エルヴィスはラスベガスの公演を終えた後
MGMのカルバーシティのスタジオで
わずかな自由時間しかなかった。

そこで撮影されるのは、彼にとって
最後の映画となるもう一つの
ドキュメンタリーで、
当初はSold Out』というタイトルだったが、最終的に『Elvis On Tour』
と名付けられた。




スタジオが提案した監督
ロバート・エイベルと
ピエール・アディッジは、
2月のヒルトンでの公演のひとつが終わった
後、楽屋でパーカーと、そしてエルヴィス
本人に会っていた。

ちょうど映画『ウッドストック』
が公開されたばかりで、
みんなが突然気づいたんだ!
そこでは信じられないほど芸術的で、
社会的な革命が起きている。

私はいつもそのルーツをたどりたかったし、
エルヴィスについての映画を
作りたかった。

それに、またエゴも少しあったと思う。
これまで、いろんなスタジオ
(エルヴィス映画の事)が作ったものって、
信じられないくらいのクズばっかりだった
……中略……ピエールと私が楽屋に行った時、
何を話せばいいのかわからなかったんだ。」


最初は軽い世間話だった。
エルヴィスは魅力的に振る舞い、
リラックスした心地よいホストぶりを
発揮していた。………やがてエルヴィスが
口を開いた。


コロネルが言ってたよ、
君たちが俺の映画を
作るって……


「そうなるかもしれませんね」とエイベルは
答えた。「ぜひそうしたいと思っています。
気分や雰囲気が合って、
条件が整えば
私はその意欲はあるんですが、
確約はできません

エルヴィスは戸惑った表情を見せた。


「どういう意味だ?」🤔


「私はドキュメンタリー監督音楽を作る
本人そのものに関心
あるんですただ音楽を記録するだけ
じゃなくて。もちろん、
あなたの本物の音楽
フィルムに収めたいとも思っていますよ

これまでの映画で使われたあなたの音楽には、正直あまり感銘を受けませんでした。
もしあなた自身に興味を持てるような
関係が築ければ、面白い映画になる
かもしれない……」

エルヴィスが遮った。


「俺の音楽、好きか?」


エイベルは好きだと答え、
1950年代のエルヴィスの音楽に焦点
当てた長い独白を始めた。

エイベルははかつて
“ビッグ・ママ”・ソーントンと長い
列車の旅を一緒にし、
当時の黒人アーティストが特定の曲を
かけてもらうのがどれほど難しかったか、
……中略……
さらに、当時のトップソングライターで
あるジェリー・リーバーと
マイク・ストーラーの話もした。

彼らはエルヴィスの初期のヒット曲を
数多く書いていた(『監獄ロック』
『ラヴ・ミー』『ハウンド・ドッグ』など)

エイベルは1950年代のことを
こう語った
「あの頃、本当に君にパンチ
食らわせたかったんだ」

エルヴィスは椅子に体を預けて
大笑いした。





「俺にパンチを
食らわせたかった奴は
沢山いたよ……」


一方では貴方を尊敬していたんです、
でももう一方では、僕といえば女の子に
キスして貰いたくて必死だったりしたのに…
貴方は…簡単に女の子にアクセス
できちゃうのが………中略……それが悔しく
憎らしかった

今度はエルヴィスが椅子から落ちそうに
なるほど大笑いした。




「最初のドキュメンタリーは気に入らなかった」とエイベルは今振り返っていう。

※「デニス・サンダースは、正直言って
エルヴィスに対して酷い仕事をした。
あれは明らかに中傷だった。あるシーン
があって……」もやもや





エイベルのこの発言は、1970年の
エルヴィス・ドキュメンタリー映画
『Elvis: That's the Way It Is』
(監督:デニス・サンダース)を
強く批判したものです。


当時のポスター


彼が「hatchet job」
(中傷的な仕事、)と呼ぶほど
嫌っていた理由は、主に以下の点です


【ファンの描き方が嘲笑的】
侮辱的だったオリジナル版
(1970年劇場公開版)では、エルヴィスの
熱狂的なファンをインタビューする
シーンが多く挿入されていました。


特にある女性ファンが猫🐱を抱きながら
エルヴイスについて熱く語るシーン


「こちらはティンカーベル
彼女もエルヴィスの
ファンなの」


言ったんです。それで、
彼らは映画にその猫🐱を登場させたんです。
("Sue with her cat")


眼鏡をかけた男性ファンが

「自分はそれほど
エルヴィスファン
じゃないんだ」

と認めるシーン
これらが、エルヴィスやファン全体を
馬鹿にしているように感じられ
多くのファンや批評家も
「ファンを尊重していない」と不満を
漏らしていました。



1970年当時のポスター💗素敵💗


エルヴィス本人のパフォーマンスを十分に
活かしていなかった。

エイベルは、コンサート映像よりも
ファンインタビューや余計な
ドキュメンタリー要素が多すぎて
エルヴィスの本当の魅力が
薄まっていると感じた
ようです。

一方彼自身が『Elvis On Tour』
目指したのは

「エルヴィスの本物の音楽と
ステージを正面から捉える」




リマスター改訂版




ちなみに、2001年にリマスター再編集版
(Special Edition)が出たとき、これらの
ファンインタビューのシーンはほとんど
カットされ、コンサート映像中心に
なりましたそれが今よく見られる
バージョンで、エイベルの意見に近
い形になったとも言えます。





『あなたについては、未だ
誰もちゃんとやっていない
んです!』

私はエルヴィスに言いました。肯定的に
振り返れるような

『素敵で永久的な
記録がまだない』

みんな年を取っていくんだから、そろそろ
誰かがちゃんとやるべきだと思いました。

『エルヴィスの事が好き
になりました』

本当にそうでした。彼には純粋さと
脆さそして繊細さがありました。
そういう素直なところがとても
気に入ったんです。

彼には聡明さと鋭い意識もあって、
私は言いました。


『もし作るなら、
古い写真にアクセスさせて
もらいたいし、子供時代
についても話したいんです』

あとでそれが問題
なりましたが

 その時は、彼は
『コロネルに話してみるよ』
と言ってくれて、私たちはそこで別れました


NEW!!! ELVIS ON TOUR 
THE FINAL CUT -2025 SPECIAL 
4K ULTRA HD
【ELVIS Presley】




Continue…

今年の1月8日から書き始めたエルヴィス
ブログはようやく1年が経とうとしています
知らせたい思いにお付き合い下さいまして
1年間ありがとうございましたm(_ _)m
―倖―