小さなお葬式・家族葬のCMから。 | 太郎椎茸のブログ

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 最近、「小さなお葬式」とか「家族葬」とかいったテレビCMがやたらに増えた気がする。コロナ流行が原因か?

 

 コロナ感染防止のために人同士(対人)の接触を避けることが重視され、葬儀の規模の縮小化(小さなお葬式)・家族葬が急増し、現在では一般化してきている。同様に結婚式もド派手にエスカレートしてきていたのが、最近は役所に婚姻届を提出して終わりと言った結婚が当たり前のようになってきたようである。

 

 ほんの数年前までは、我々が住むような少子・高齢化率が高い地域においては葬儀場が雨後のタケノコのように急増して結婚式場の4~5倍くらいに増えて、葬儀そのものも派手になる傾向があり、葬儀場の好景気を羨むほどであった。それが今や閑古鳥が鳴いて家族葬に対応するのに命運をかけていると言った様相となっている。変われば変わるものだと驚いている次第。

 それだけでなくお祭りや伝統行事なども高齢化社会の急速な進展の中で維持が困難になり、規模の縮小や廃止さえ増加している。

 少子高齢化の進行、コロナなどの流行病、不景気・経済の低迷が、冠婚葬祭に代表されるような風習・文化、社会集団の関係性・社会のあり方まで大きく変化させてきた。戦時下や敗戦後に次ぐ大きな変化であり、時代の流れ、時代の変革というものを身にしみて実感している。

 

 家族のあり方は核家族化し、家制度は崩壊し、社会の変化は否応なく人生観・世界観も変革していく。「十年一昔」と言うが、私が生まれ育った頃の価値観が今や通用しがたい状況となっている。何やら自分の生きてきた時代や人生を支えてきた価値観が通用しがたくなっているということは、自分を認められないようで寂しくもある。

 

 ……………… 知人が先日逝去したが、お悔やみや伝えたものの、ご家族から通夜・葬儀の参列辞退、香典辞退のお申し出があり(それを非難するものではないが)、ともに悲しむ場、共に悲しみを分かち合う時間を共有する機会がなくなったようで、個人との関わりが水くさくなるようで、正直言って寂しい思いがしている。何やらどんどん人間関係が希薄になっていくようで、人間関係に関わる「面倒くささ」は確かに減ってありがたいと思う面もあるのだが、寂しくもある。なにやら世の中がつまらなくなったようで……。

 

 そんなことを感じながら………… ごきげんよう。