「極端にやる」べきだと想うのです、ここまでやるか?くらいじゃないと意味がないから | 雲ひとつない青空へ 

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しがらみや矛盾のない世界にするためには、きっとしがらみの中で闘う人が必要で。で、あるならば、世界の抱えた最後のしがらみに、私たちはなりたいのです。

こんにちは。
大事な後輩たちと会ったり、大事な友達と会ったり、神原です。

どれだけ人に裏切られても、人を信じられる人で在ることは変わらずいられる気がする。



「やりすぎでいいんだよ」

トヨタ生産方式についての本を5冊いっぺんに購入しました。

先月は死ぬほど孫正義さん関連の本を読みました。

一貫して想うのは、「やりすぎよう」ということ。

僕みたいな若い文字通りの若輩者は、自分が今持っている程度の低い基準線で生きてしまうことが一番怖い

「こんなもんでいいか」っていうのが一番怖い。

自分の低い基準線が自分の可能性を閉ざす一番の敵だったりもする、それじゃいけない。

徹底する、というのは、圧倒的にやる、というのは、自分の想像を一歩も二歩も超えた自分であることだと想うのです。

僕は正直日々問題が山積みです。

自分のレベル感もこのままじゃいけないとしか、このままの自分でいたら口だけで終わるぞ、と常に言い聞かせているし、でもそれだけじゃなくて、会社の問題も次から次にあがってくるし、気づかない間にゲスト(関わってくれている人たち)やサポーター(お付き合いいただいているお客様)にご迷惑をおかけしてしまっている時もあります。

僕の至らなさで、本当に申し訳ないと想う。

でも、それをそのままにする不誠実な自分で在りたいとは想いません。

そしたら、行動しなきゃいけない、自分がこんなもんでいいか、とか想っちゃうレベルをずっと超えた行動をしていかなきゃいけない、それが信念を貫くことだったりするとも。






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『頑張っている人たちが報われる社会を創る』

株式会社リトルクラウド(Little Cloud Inc.)
神 原 太 郎(Taro Kambara)

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