3.『自分の年齢を3で割ってみろ』 | 雲ひとつない青空へ 

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しがらみや矛盾のない世界にするためには、きっとしがらみの中で闘う人が必要で。で、あるならば、世界の抱えた最後のしがらみに、私たちはなりたいのです。

こんにちは。
昨日の大雪の中、裸足にデッキシューズで出歩きましたたろーです。

石田純一さんではないのですが、
あまり靴下をはくのが好きではなくて
いつでもサンダルを好むので一緒にいる人から
怒られることもあります。笑

さすがに12月に入ってからは履いてない、はずです。笑



でも、昔は靴を買うのがとても好きでした。
特にスニーカー。

服は別にシンプルでいいと思っていて、
靴でアイデンティティを発揮した方が安上がりだな、と。

『戦略的靴購買のすゝめ』でも書こうかな。笑



寒い毎日が続く中ではありますが、
今回は『決断』というテーマについて書きたいと思います。

ちょっと重いテーマに。
そっと想いを込めて。

キーワードは『自分の年齢を3で割ってみろ』。
2年前、20歳の僕が出逢った言葉でした。







『自分の年齢を3で割ってみろ』







@つづってみる





2か月前の今日、11月15日。



従兄弟のたくとがこの世を去りました。



享年14歳。







僕の両親の結婚記念日だったので、
僕も、両親も一生この日を忘れることはないと思います。



家柄もあり、いくらかの「お葬式」と呼ばれるものは
体験してきている22年間ではありました。

が、

これほど受け入れがたく、
死ぬほど行きたくなかったお葬式はありませんでした。



叔父と叔母の大事な大事な一人息子、たくとは
重い病に侵されていました。

通常、2,3歳で発症し、命を奪うその病気によって
それが確認された時点で、
たくとの生存確率は3割程度だったようです。

その3割に賭けて、スタートした治療を
僕はただただ横から眺めることしかできませんでした。



長い闘病生活。

放射線治療、入退院を繰り返し、学校を変え、
その日、棺の中に眠るたくとと対面しました。



7歳下のたくとは、僕にとって唯一の弟のような存在でした。

元々、一人っ子で兄弟がいない僕を、
同じように一人っ子で兄弟がいないたくとが
「太郎お兄ちゃん!」と幼い頃から
慕ってくれたのをよく覚えています。

7歳も年が離れていると、接し方も少し難しくて
父が器用に敵役(やたらチューしようとするから)を
演じているのを感心して見ていました。

サッカーを一緒にしたり、
怪獣ごっこを一緒にしたりしたのですが、
一番楽しそうだったのは積み木を
積み上げてる時だったかな。

背が低いものの、声高に走り回るたくとは
いつも元気だったように思えます。

レゴの教室にも通っていたり、
僕にはない手先の器用さを持っているたくとは
将来はきっと技術職に就くのだろうな、と
なんとなくながら思ったりしていました。





最後に病室を見舞った時、
たくとは薬の副作用で大柄になり
言葉を発さず、無言でDVDプレーヤーの中で
暴れまわる麦わらの海賊団を眺めていました。

「また来るからな」

ウソになってしまった、あの言葉。

帰る前に叔父と、父と、母と、
少し病院のカフェテリアで話して帰りました。

話の最後の方で、亡くなった祖母の話になり
父がふと、
「ばあちゃんはたろうの結婚式には出るって
 言ってたんだけどな。笑」
と言ったところで途切れた会話。

基本的に大人になるにつれ僕は、
父を尊敬する息子になってきましたが
この時ほど父の空気の読めなさを
恨んだことはありませんでした。



「結婚」



それはもうおおよそ、たくとに実現されない未来。

そのあと、僕は何を話していいのか
わからなくなってしまいました。



しかし、エスカレーターをのぼりながら叔父は
僕に笑顔で話しかけてくれました。

「起業するんだってな。社長か!笑」

多分、誰より僕が被害者のような顔をしていたはず。

たくとにない未来を、僕は持ってた。
歩めない道を歩んでいる。

よくわからない罪悪感のようなものを抱えて
その日、葬儀場にも向かっていたのを覚えています。



でも、誰より辛いはずの叔父は、それを見せずに
笑いながら僕の未来を応援してくれました。

あの瞬間の胸の締め付けられる想いを
忘れることはありません。






叔父の喪主挨拶は立派で、そして本当に素敵なものでした。



「本来なら、3歳で失われていたはずの命を
 14歳まで頑張って生き抜いてくれました。

 その分、一緒に過ごせた11年間は
 たくとからのプレゼントだったと思い、
 本当に感謝しています」



文面は少し違っていたかもしれませんが
おおよそこのようなニュアンスで
涙は止まらずに流れ続けた時間となりました。







話はやっと本題に入ります。

『自分の年齢を3で割ってみろ』は、
僕が兄貴分として慕い、尊敬してやまない
とあるITベンチャーの社長さんにいただいた言葉でした。



今から約2年前、僕がまだ若干二十歳の頃。

「サラリーマンなんてクソだ。社会の歯車になんかなりたくない」と
中二病まっさかりの生活から一変して、

「サラリーマンやったこともないくせに、
 サラリーマン否定していいのかな?」

と、懐疑することで、実際にベンチャー企業に飛び込み
営業を始めて、3か月ほど経った4月のある日。

僕は、その人に出逢いました。



初めて、自分が担当案件として、
その企業さんにお伺いしたのはその年の2月18日のこと。

その時はスキルもノウハウもロジカルさもなく、
ただ熱さと真摯さを認めていただき、
一か月後にオファーのご連絡をいただいたこと
忘れもしない大切な出来事でした。

当時、インターンの求人メディアの営業をしていたのですが、
その求人記事のオプションとして、
その人への「社長インタビュー」をすることになっていました。

失礼ながら、他の媒体に載っている画像が
あまりにも若々しく、かわいい写真だったので、
正直部屋に入ってこられた瞬間対面した、
底知れぬオーラのようなものとのギャップは
「衝撃」の二文字以外の何物でもありませんでした。

お話をお伺いする中で、自分のことにも触れていただき
とても気さくに話していただきました。



当時、起業というものをずっと先に見ていた自分の話を
丁寧に聞いていただいたうえで、
(俗に言うリスクとの関係などで、先に見ていました)
その言葉に出逢うことになりました。





「今、神原君、何歳だっけ?」

「今、二十歳です!」

「じゃあ、3で割ってみて」

「え・・・と、7くらいですね」





「それは今朝7時ってことなんだよ。

 今だったら大阪にも行けるし、海にも行ける。

 ショッピングだって楽しめるよね?

 じゃあ42歳になってみ、いくつ?」



「・・・14ですね」



「そう、つまり昼の2時なんだよ。

 もちろん、その時間でも大阪にも行けるし、

 海にも行けるし、ショッピングだって。

 でもさ、物理的に楽しめる時間は少ないよね?

 忘れ物したり、迷ったりするかもしれない。

 もちろん、いつ起きるかは自由だけど、

 神原くんはどうしたいの?」







それは後に、僕が一般的な就活をやめるか否かの
決断をする最後の決め手に思い出した言葉と
なったのもまた事実でした。

まだ朝7時の甘ちゃんひよっこの人生ではありますが
道に迷っても、忘れ物をしても取り返せる時間。

僕は夢を追いかけて出発することにしたのです。







たくとの人生は、朝5時になる前に幕を閉じました。

これからきっとあるはずだったたくさんの楽しいこと。
これからきっとあるはずだったたくさんの幸せなこと。

それらはもうたくとにはありません。



でもきっと、今この文章に触れている方々には、
それは残されているものだと思います。



僕はこの世界はずいぶんと不公平だと思います。
でも、またそれでいいとも思っています。

「あなたが無駄に過ごした今日は
昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたかった明日なんだ」

そんな言葉も、僕は知ったこっちゃありません。





自分の人生をどう生きるかは、自由だと思います。





だって、僕らにはそれを選ぶ権利がある。





ただね、少しだけ考えてみてほしいんです。

こうして、他の人の人生一つに触れることで
思い返してみてほしいんです。



今の生き方は、本当に一番いい生き方なのかを。



そうして、僕は大好きな朝寝坊をやめました。

そうして、僕は誰よりたくとの分まで生きてやろうと決めました。







たくとが亡くなって、お葬式が終わるまでの4日間。

どうしようもない辛い感情と悲しみは
僕の心から離れてはくれませんでした。

それを周囲にさらけ出せるような立場でもなく、
何も見せずに、強い自分をひたすら演じ抜き、
唯一、自分の大切な人の前で号泣しました。






でも、誰より辛いはずの叔父が、
雨の中、蒼白な顔をして葬儀場についた僕を
笑顔で迎え入れてくれたこと。

誰より辛いはずの叔母が、
しっかりとした口調で
「たくとのために来てくれてありがとうね」
と言ってくれたこと。

たくとの好きだったゆずの『また会える日まで』が
何度も、何度も流れていたこと。



胸に刻んで生きることで、
たくとにまた会える日まで、二度寝はしないと
誓って歩き続けていこうと強く想います。






『自分の年齢を3で割ってみろ』



あなたの年齢を3で割ってみてください。



それはあなたの人生の現在時刻です。





あなたは何時に起きますか?






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  神 原 太 郎

“make me better, make you better”


Fb:神原 太郎
Twi:@gcpx24


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