2.『パーソナルな関係』 | 雲ひとつない青空へ 

雲ひとつない青空へ 

しがらみや矛盾のない世界にするためには、きっとしがらみの中で闘う人が必要で。で、あるならば、世界の抱えた最後のしがらみに、私たちはなりたいのです。

こんばんは。
卒論のための徹夜と気管支炎での満身創痍を乗り越えましたたろーです。笑

いつもうちではベッドを出しておかないのですが、
(置いてあると寝ちゃうので笑)
年末は体調を崩さないために空気入れるタイプのベッドを
出動させています。



ベッドって、ホントいいっすね。笑



出られない。

本当に出られない。

祖父の家のこたつを思い出しては、
「センチメンタル・ラブ」って感じです。

でも、こたつも危険ですよね。
あの出られなさは凶器。



うちにはテレビも置いてないんです。
テレビを置いちゃうと見ちゃうから。笑

なるべく無駄な時間を削ぎたくて
好きだったマンガもほとんど置いてません。

『ONE PIECE』は置いてるけどなッ!!←





ということで、そんな合理主義者になりつつある
僕が「これでもかっ」ってくらい合理的ではない
人間関係についてのキーワードを書きたいと思います。

キーワードは『パーソナルな関係』。
僕の周りにいる人たちは、耳がタコになるくらい
耳にしているワードの一つだと思います。






『パーソナルな関係』






@つづってみる



後輩たちによく聞かれる質問があります。



「なんでたろーさんはそんなに人脈を作れたんですか?」

「どうしたらたろーさんみたいな人脈ができますか?」



そもそも僕に人脈があるかどうかは置いといて、
いや、むしろ、「人脈」ってなんだっていう問いは置いといて。
(多分「人脈作り」って考え方が好きじゃない。笑)

僕が人間関係の中で一番大事にしていること。
それは「目の前の1人とどれだけ向き合えるか」という一点に尽きます。

正直、あんまり興味ないんですよね。
「Facebookの友達が1人増えること」とかまさに。

なんか知り合い、とか、SNSではつながってる、とか、
そういう薄い関係に価値を感じない人は結構大多数だと思いますが。



そんな僕も、2012年にFacebookの友達が1600人増えました。

1600!!!!!!!!!!

この数字を見ておったまげました、もちろん。
そんな数の人たちと知り合ったのか、と。

でも、同時に思ったことは、
「この人たち1人1人と本当にいい関係が築けたかな?」
ということでした。





もちろん、できていません、多分。





100人くらいは名前からあった場所が連想できないでしょう。

300人くらいは顔と名前がなかなか一致しないでしょう。






けれども、僕は一つだけ自信があることがあります。

それでも、できるだけ。
自分にできる限界、まで。



僕は1人1人との関係性を大事にしてきたということ。







今年の3月4月。

誘われたものはありとあらゆるパーティー・交流会に
足を運び続けました。

「交流会」って、あんまり好きじゃないんです。

だって、その場では俗に言う「深い話」はできないし、
普通に行って「楽しかったー!」で終わっていたら
特に何も得ることのできないまま3000円を失います。


それでも、もっといろいろな人たちに触れることで
自分の枠を広げたかった僕は、

また、自分のビジネスや学生団体で一緒にやれるメンバーを

探して新しい出会いを求めていた僕は、
そのきっかけにすぎない場に足を運び続けました。


その2か月は、今でも大切に想っている2か月です。




だって、たくさんの素敵な出会いがあったから。





交流会から帰ると、僕は出会った人全員に
Facebookで必ずメッセージと友達リクエストを送りました。

そして、
「今回はほとんどちゃんとお話しできなかったので
ご都合よろしければ、今度はちゃんとお話ししましょ^^」
と律儀に書きました。

正直、誰が誰だかわかんないくらいじゃないですか。笑

交流会とか行ったあともらった名刺の束とか、
ズラッとメモした氏名の一覧見ても。

でも、一回で終わる関係の無価値さ、
Facebookの友達が1人増えるだけの無価値さだけは
自分が一番嫌だったので、それを続けました。

社交辞令だと思われたこともあるし、
女の子に「狙われてるのかな?」って誤解されたことも
多分あると思うし笑、それはまたそれで嫌だったけども。笑





「誰かよくわからない人とよく会い続けられるね」





そう、言われたこともありました。



確かにね。笑



それでも、僕は1人1時間半、1日9人と話す日々を
しばらく過ごしていました。


自分の業務や作業時間は深夜にとって、
日中ひたすら人と話し続けた2か月。





やってみて、わかったこと。





まず、無駄な出会いは1つもなかったってこと。

先入観や偏見を捨てれば、誰にでも素敵なところや
学ぶべきところがあって、それは十人十色。


そして、常に考えていたこと、

「この人のために自分は何をしてあげられるか」

「この人が自分に望むことは何だろうか」

そんなことを頭の片隅において話していると、
その人と自分に生産的な関係が生まれるんですよね。




相手が望むことを知るために必要なこと。

それって「相手を知る」ことなんですよね。




その人が今どのように生きているのか。
それは、その人が今までどのように生きてきたからなのか。
どんな人たちに囲まれて生きてきたからなのか。
その中で、いったい何を大切にして生きているのか。
どんな悲しい想いや辛い挫折があったから今のその人があるのか。
これからどんな風に生きていきたいのか。




相手を知らなければ、相手の望むことなんてわかりやしない。

だから「聴いて」、「知る」ということは
僕がその時徹底して相手を想い、心がけたことでした。




「相手を知る」と、不思議と相手は僕に興味を持ってくれました。

自分を知っている人、ってきっと貴重な存在なんですよね。
それは誰にとってもそうなんだと思います。



だから、僕は自分のことを話しました。



大体ね、聴かれることって似ているんですよ。

「今何をやっているのー?」とか、
「なんで就活やめたのー?」とか、
3ケタを超える人たちに同じ話をその人に合わせてしていました。

だんだん話がうまくなっていくのが自分でもわかりました。
だって何百回と話していれば、そりゃそうですよね。笑


人を自分のエピソードの中で笑わせたりすることも
機会を重ねれば重ねるほど、簡単にできるようになりました。

きっと、今「自分は話が下手だ」と思っている人は
とにかく他人の話を聴いて、他人に自分の話をしてみるといいと思うんです。



練習あるのみ!笑





自分の大切にしている想いもよく話しました。


『自分がよりよくすることで、他人をよりよくする』


僕の大切な想いが言語化された大切なフレーズです。







そんなことを繰り返していく中で、
「目の前の1人とどれだけ向き合えるか」ということを
突き詰めていくと自然と出来上がった関係性。




それを僕は『パーソナルな関係』と呼んでいます。




それは、「神原太郎」と「●●××」の関係なんです。

肩書きとかで判断される関係ではなく、
“その人個人の存在”同士での関係のことです。

相手の想いや哲学、それが出来上がった背景と歴史、
そういったものと真摯に向き合った時、
僕は”その人個人の存在”と出会ってきました。


そして、「日本人」でも「早稲田大学の生徒」でも
「男子大学生」でも「学生団体Answerの代表」でも
「ビジネスをしている学生」でもなんでもない、





「神原太郎」を伝える努力をしました。





『パーソナルな関係』を築くため。




そうして、1人1人と、できるだけ、できる限り
分かりあうことを繰り返す中で、
僕は確かにたくさんの素敵な繋がりを手に入れられたと感じています。



「出会い」自体に感謝したことはほとんどないです。

だって、継続性がなければ人と人との関係性なんて
ほとんど無意味だと思うから。


でも、続いていくそれは、常に自分に何かを与えてくれずとも
大切にしていたいと想った。

だから、ただ真摯にそれを大切にし続けてきた。





5月以降、僕は交流会などに行くことをパッタリと止めました。

もちろん、親しい人が主催するパーティーなど
特例はありましたが、ほとんどパッタリと。




それでも、人と話す時間は減りませんでした。




それまでに出会い、心からの言葉を交わした人たちが
僕にまた新しい出会いをくれました。


返せるものが少ない僕に、見返りを求めずに
与えてくれる人生の先輩たちができました。


後輩たちの中で、「たろーさんは話を聴いてくれる」と
いい噂がたち、わざわざ会いに来てくれる子が増えました。


兄や、父のように慕ってくれる子も増えました。


僕は恵まれていると心の底から想います。





でも、その恵まれた環境を作ったのは
紛れもなく自分だという自負もあります。

「目の前の1人とどれだけ向き合えるか」という
ただそれだけのことだけど。

誰にも測れない、定性的な、そんな不透明なものだけど。





築き続けていくたくさんな『パーソナルな関係』が
僕と、たくさんの人たち1人1人との関係が、
きっと僕が困ったとき、僕が窮地に立たされたとき、
僕を救ってくれる気がする。

たとえ、そんなときが来ようとも、来ずとも、
僕もその人たちを「助けたい」と思えるようにありたい。

つまりは、1人1人を愛している、って、
そんな綺麗なクサい言葉がよく似合う気もするんですよね。笑





『パーソナルな関係』






僕という人間を構成する一つの要素。



それは、真摯な対話の積み重ねの上に成り立っているのだと、

自信を持って、今は言えるのです。



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  神 原 太 郎

“make me better, make you better”


Fb:神原 太郎
Twi:@gcpx24


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