フランツ・ベンダ「その美しい歌い方」 | 翡翠の千夜千曲

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Franz Benda: Flute Concerto in E minor, L2.4 – Andrea Bertalan

Capella Savaria, Concert, Bartók Concert Hall, Szombathely, Hungary, 2.17.2019. - Franz Benda: Flute Concerto in E minor, L2.4 – Andrea Bertalan

 

Franz Benda: Flute concerto e - minor (Ana Tutić - HR)

The Winners Concert of Flautiada 2017 

21.10.2017, 

Mirror hall of the Primates palace in Bratislava 

 

Ana Tutić (HR) winner of the category 1/B 

Flautiada 2017 

"Technik" Chamber orchestra 

Conductor: Mirko Krajči

 

EMMANUEL PAHUD - Franz Benda Flute Concerto in E minor 1. Allegro con Brio.

EMMANUEL PAHUD - Franz Benda Flute Concerto in E minor . Allegro con Brio. Kammerakademie New Palace in Potsdam, Germany.

 

Franz (František) Benda: Violin Concerto in D minor, Ariane Pfister (violin), Christian Benda (cond)

Ariane Pfister-Benda (violin),

Suk Chamber Orchestra, 

Christian Benda (conductor) 

Recorded: 25-28 January 1999 

I. Allegro e con brio – 0:00 

II. Adagio un poco Andante – 09:14 

III. Presto – 16:50

 

 

 

 人生の出会いとは不思議なものです。今日の主人公ベンダも様々な場所で自分の音楽生活を送りますが、最終的にはフリードリッヒ大王の私的オーケストラに辿りつきます。そして、ここには偉大な先人やその後友人となる多くの優れた音楽家達がいました。

 フランツ・ベンダ(Franz Benda)、またはチェコ語でフランティシェク・ベンダ(František Benda, 1709年11月22日 - 1786年3月7日)は、ドイツで活動した作曲家でヴァイオリニストでもありました。どちらかと言うと古典派の時代にかかっていた時代、同時代の人物で言うと、バルダッサーレ・ガルッピとジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージやヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ達の間、彼らと殆ど同時代の人です。

 フランツ・ベンダは、プラハからほど近いベナートキ村で、ハンス・ゲオルク・ベンダ(1686-1757)とその妻ドロテアと間に、長男として生まれました。ハンス・ゲオルクは亜麻布織(リネン)のマイスターで、職業音楽家ではありませんでしたが、なかなかの腕前で、居酒屋や結婚式でよく演奏していたようです。その父からベンダはオーボエ、シャルマイ(ショーム=オーボエの祖)やツィンバロンを習いました。地元教会のカントル、アレクシウスからはオルガンや作曲および歌唱を習っています。

 幼少期にプラハのイエズス会で学び、10歳でドレスデンへ移り、ここで教会の聖歌隊員になります。15歳まで教会でアルトパートを担当していました。変声期のため故郷へと一旦帰りますが、当時仕えていたクライナウ伯爵の推薦で、ウィーンへと旅立ちます。その後は各地を転々としながら音楽活動を続けていましたが、1730年に、ポーランドのワルシャワの郡知事の宮廷に採用され、その楽団で楽長を務めています。

 1732年、ポーランド王室宮廷楽団にヴァイオリン奏者として採用されましたが、ポーランド王アスグスト2世の死去によって翌年にドレスデンに移動し、当時のプロイセン皇太子が私的に設立した宮廷楽団へと招かれています。この招聘は、彼のフルート教師であったヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ(1697–1773)によるものでした。このように、人物は繋がっていくのだなあと思う訳です。
 ベンダは当初、ヴァイオリン奏者としてだけでなく、歌手としても活動しています。同時にこの間、楽団に在籍していた、ヨーハン・ゴットリープ・グラウンら他の同僚たちから、音楽理論、作曲についても学び、その後「数年で、協奏曲を作曲できるまでになっていくのです。
 1740年にフリードリヒが王位を継承し、ベンダもベルリンへと移動します。彼が所属していた楽団も、プロイセン王室所属の、公式な宮廷楽団として整備されることになります。ベンダは楽団内のヴァイオリン奏者としては二番手の立ち位置となったものの、フリードリヒの私的な室内楽においては、その統率者を務め、主席のグラウンが亡くなると、ベンダは楽師長に昇格したが、この昇格は名誉的なものであったようです。

 ベンダは楽団奏者の中では最も長く、53年間にわたってフリードリヒに仕えています。ベンダは、ヨハン・ゴットリープ・グラウンと並んで、フリードリヒが当代最高と評したヴァイオリニストであり、手紙に「ベンダに適うヴァイオリニストは誰もいない」と書いたほどです。また、家族を特別な計らいでプロイセンへ呼び寄せたことや、個人的な信頼関係をうかがわせる逸話の数々からも、フリードリヒはベンダを殊更寵愛していたように思われます。人間を軽蔑し、家臣を自身の所有物としか見なかったフリードリヒが唯一、対等な人間として接した音楽家は、クヴァンツでもグラウンでもなく、ベンダであったと家一休社は評しています。

 ベンダの真髄は華やかで難しい技巧を駆使することではなく、歌唱的で美しい「ヴァイオリン本来の性質に全く適った」演奏をすることでした。

 ヨハン・アダム・ヒラーは、プロイセン王室宮廷楽団の奏者を紹介する記事の中で、ベンダについて以下のように書いています。

ヴァイオリンのあらゆる難しさに対処できる技巧を持っているにもかかわらず、彼の演奏における趣味は、その作品の趣味同様、大変感動的で優雅なものである。このことに、彼の良い歌手としての以前の経歴が何かをもたらしていることは、疑いのないことだ。

 こんな表現もあります。作品と演奏における、「大変感動的で優雅な」趣味とは具体的にどのようなものであったのか。同じくヒラーと、クリスティアン・フリードリヒ・ダニエル・シューバルトによる証言から、より詳しく知れます。

 しかしながら、高貴な(ここで私が「高貴な」と言うのは、艶がなくてパッとせず、面白みのない歌唱とは全く違うものだということだ)歌唱性こそ、彼の天性の素質が洗練され、そして最大の成功を示したものである。彼の作品もまた、その演奏と同じような輝きと高貴な本質が欠けることがなかったので、本質的には〔その演奏と同じ傾向を〕示している。彼の演奏同様、その作品は非常に穏やかで快適であり、ときに諧謔的なものであるが、低俗でありきたりなものでは決してなく、常に気品がある格別なもので、新しく特別な着想に基づいたものである。多くの〔普通の〕音楽同様、つまらない音楽の演奏において〔も示される〕彼の演奏の巧みさと正確さ、そしてある作曲家の考えの適切な表現〔を演奏によって示すこと〕によって、全ての人が、〔その演奏が〕彼と一緒に、もしくは彼のもとでなされているということがわかる。それどころか、彼に率いられた演奏をひとつでも聞きさえすれば、〔人はそれがベンダによって演奏されているものだということを〕推測することが出来る。

 クヴァンツは1752年の著書「フルート奏法試論」の中で、派手な技巧を披露することに腐心しているイタリアのヴァイオリニストたちの作品の傾向を、「全く歌唱に適わないもの」、つまり音楽的でないものとして批判しています。ベンダはその演奏と作品において、クヴァンツによって批判されたイタリアのヴァイオリン演奏の傾向とは全く反対の傾向を示しています。「あらゆる難しい技巧に対処できる技術を持っているにもかかわらず」、ベンダはそれを多用することなく、「非常に穏やかで快適」で、「常に気品がある格別な」、しかし同時代人が求めたような「飛び跳ねるような性質のものでは」ない演奏を、作品の作曲も通し併せて示したのです。ベンダの娘婿であったライヒャルトは、フリードリヒ大王の演奏を「ベンダ風」と形容することによって、ベンダ特有の演奏様式が存在していたことを暗に示しています。

 彼(*プロイセン王フリードリヒ2世)はアダージョを、とても多くの感情と力強い表現とによって演奏した。音の運び、強弱をつける際の繊細さ、完璧かつふさわしいアダージョへの装飾、そのすべてがベンダ風であった。カデンツァも美しく、どのような時でも作品にふさわしかった。

 フリードリッヒ大王のオーケストラは、エマヌエル・バッハ、クヴァンツ、そしてグラウンという錚々たるメンバーが顔を合わせると言うもので、来客として大バッハも訪れています。ここで課題を出されて即興演奏したバッハは、後に楽譜にまとめ「音楽の捧げ物」という傑作を大王に献上し、その作品は出版されて後世に残っています。

 肝心のフルート協奏曲ですが、これはニ短調のヴァイオリン協奏曲をフルート用(ホ短調)にしただけのものですが、ユーチューブではこればかり出てきて、肝心のヴァイオリンの演奏が余りありません。これには、これまで書いてきたように、ベンダが歌い手でもあったこと、フルート奏法に熟知していたことなどによるものだと思います。つまり、音域も極端な高音部がないこと、フレーズが歌謡的で美しいことなどが挙げられると思います。

 従って、今日はフラウト・トラボルソと現代のフルート、そして演奏者による音楽の作り方の様子を比較してもらうために3種類を選んであります。勿論、本来の作品であるヴァイオリンコンチェルトも聴いていただけます。

※ 追伸 ヴァイオリン・コンチェルトの指揮をしているChristian Bendaは何代目になるのかは不明ですが、フランツ・ベンダの子孫です。

 

※ 演奏会のご案内⑬ ダンシングフルートVol2

 

※ 演奏会のお知らせ⑭ 翡翠トリオピアノ三重奏の夕べ

 

 

 

ベンダヴァイオリン協奏曲(ダウンロード楽譜) 画像はIMSLPにある自筆譜

 

Flute Concerti by Pergolesi, Telemann, Benda, Stamitz and others

Composers

  • Bach, Johann Sebastian (1685–1750)
  • Benda, Franz (1709–86)
  • Pergolesi, Giovanni Battista (1710-36)
  • Rosetti, Antonio (1750–92)
  • Stamitz, Carl (1745–1801)
  • Telemann, Georg Philipp (1681–1767)

Works

  • Bach, J S: Orchestral Suite No. 2 in B minor, BWV1067
  • Benda, Franz: Flute Concerto in E minor
  • Pergolesi: Flute Concerto in G major
  • Pergolesi: Flute Concerto No. 2 in D major
  • Rosetti: Flute Concerto in D major
  • Stamitz, C: Flute Concerto in G major, Op. 29
  • Telemann: Sonata TWV 41:f1 in F minor for bassoon (or recorder) & b.c.
  • Telemann: Sonata TWV 41:h4 in B minor for flute & b.c.
  • Telemann: Trio TWV 42:B4 in B flat major for recorder, harpsichord & b.c.

Genres

  • Orchestral
  • Flute Concertos
  • Bassoon Sonatas
  • Flute Sonatas
  • Recorder Concertos

Conductors

  • Münchinger, Karl
  • Neumann, Václav

Groups & Artists

  • Prague Chamber Orchestra
  • Rampal, Jean-Pierre
  • Stuttgart Chamber Orchestra