ヨハン・シュトラウス2世「美しき青きドナウ」他 ロマン派の音楽⑭ | 翡翠の千夜千曲

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「美しく青きドナウ」ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団指揮:ダニエル・バレンボイム

 

    

         ワルツ「ウィーンの森の物語」

 

    

   ヨハン・シュトラウス2世 皇帝円舞曲 Op.437 (クライツベルク/ウィーン響)

 

 

 

 

 

 父親のヨハンは、このシリーズ「耳で聴く音楽史」には入れませんでした。また、年齢的には2世の前に生まれた、ブルックナーとライネッケがいますが、ここではは割愛しました。ブルックナーは、多くの苦労を乗り越えてオルガニストから作曲家に転身し、多くの愛好家が好む交響曲に力を注ぎましたし、ライネッケはゲヴァントハウスのオーケストラで多くの作曲家の初演に尽力し、ライプツィヒ音楽院で門下生、ブルッフ、グリーグ、スヴェンセン、シンディング、サリヴァン、ヤナーチェク、アルベニス、ワインガルトナー、リーマンらを育てました。

 さて、父親と弟についても後半で少し触れておきますが、まずはヨハン・シュトラウス2世について何の曲をここで取り上げようか、これを書きながら悩んでおります。「蝙蝠」は「指揮者のいる風景」でカルロス・クライバーで取り上げました。

 ここで私は、ある出来事について触れなければなりません。ウイーンにワルツの魅力を芸術的に高めてウインナ・ワルツとしての基礎を作ったのは、父親のヨハン・シュトラウス1世でした。母親は浮き沈みの激しい音楽家の生活をさせたくなかったのですが、息子には教養程度のつもりでピアノを習わせていました。ところが思いのほか上達が早く、音楽を勉強してヴァイオリンを弾く父親のようになりたかった、ヨハン・シュトラウス2世(以下シュトラウスと略記)は8歳の頃、近所の12歳の女の子や裁縫屋の息子に有料でピアノを教えはじめ、その金でヴァイオリンを買い密かに練習を開始します。ところが、ある日父親に見つかりヴァイオリンは怒り狂った父親に壊されてしまいます。

 やがて父ヨハンは、エミーリエ・トランプッシュという若い愛人をつくって彼女のもとに入り浸るようになります。父親はアンナのもとにはろくに生活費を送らず、愛人に貢ぐようになっていました。おそらく母親のアンナは、父親がヨハンの音楽への興味関心を削ぐことをしていたのとは逆に、母アンナは息子を応援します。息子のヴァイオリンを壊した出来事の後、アンナはすぐさま新たなヴァイオリンを息子に買い与えたのです。

 

    

シュトラウス2世「アンネン・ポルカ」 吉田裕史指揮 ボローニャ歌劇場フィルハーモニー

 

 

 よくご存じのこととは思いますが、ここでシュトラウスの簡単な紹介をしておきましょう。

 ヨハン・シュトラウス2世(ドイツ語: Johann Strauss II. (Sohn), 1825年10月25日 - 1899年6月3日)は、オーストリアのウィーンを中心に活躍した作曲家・指揮者。
 ヨハン・シュトラウス1世の長男。弟にヨーゼフ・シュトラウスとエドゥアルト・シュトラウス1世が、甥にヨハン・シュトラウス3世がいる。
 生涯のほとんどをウィンナ・ワルツ、ポルカなどの作曲に捧げ、『美しく青きドナウ』、『ウィーンの森の物語』、『皇帝円舞曲』などのよく知られたワルツを数多く生み出した。オーストリアのみならずヨーロッパ中で絶大な支持を獲得し、「ワルツ王」、「ウィーンの太陽[1]」、当時のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と対比する形で「ウィーンのもう一人の皇帝」などと呼ばれた。のちにオペレッタの分野にも進出して、オペレッタの最高傑作といわれる『こうもり』などを生み出し、「オペレッタ王」とも呼ばれるようになった。

 ウィキペディア

 では改めて、ヨハンシュトラウスは上記の中から「美しき青きドナウ」「ウイーンの森の物語」「皇帝円舞曲」そして聖アンナ祭のために作曲されたとしますが、同時に愛する母親に捧げた曲と言われる「アンネンポルカ」を取り上げたいと思います。今更曲の解説は致しません。

 シュトラウスは、同時代の人間からどう思われていたのでしょう。当時ベートーヴェンの正統な後継者と称えられていたブラームスは「シュトラウスの音楽こそウィーンの血であり、ベートーヴェン、シューベルトの流れを直接受けた主流である」と言っています。シュトラウスがブラームスと親しかったこともあり、前述のブルックナーはここで思わずその後の関係を築きます。

 リヒャルト・シュトラウス(同姓だが血縁関係はない)は、ヨハン2世のことを「世界に歓びを分けあたえるべく天性の素質に恵まれている者のなかで、ヨハン・シュトラウスこそ、とりわけ私を惹きつけはなさぬ最高の人」と称賛しており、ヨハン2世を思い浮かべることなしに『ばらの騎士』のワルツを生み出すことはありえなかったと言っている。

 ブラームスとは相いれなかったワーグナーは、

「自分にこのような軽い音楽を書けないのが残念だ」とヨハン2世のワルツの指揮をした後に語り、「彼はヨーロッパ音楽の最高峰の一つである。われわれの古典はモーツァルトからシュトラウスまで一筋に続いている」と評している。

 チャイコフスキーも彼の作品を愛した一人です。バレエ音楽「くるみ割り人形」の「花のワルツ」は、シュトラウスの様式にならっています。また、若い頃はウィーン宮廷歌劇場の総監督として名声高かったマーラーは、それまでオペレッタを上演することがなかった同歌劇場でオペレッタ「こうもり」を正式にレパートリーとしました。

 

    

     Neujahrskonzert 2018 Wiener Hofburg-Orchester - "Feuerfest"

 

    

          Radetzky March, Seiji Ozawa

 

 ヨハンシュトラウス1世には、2世と弟のヨーゼフ・シュトラウスとエドゥアルト・シュトラウス1世がいますが、3人とも作曲者で指揮者でした。最後に、ヨーゼフ・シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」と毎度おなじみの1世作「ラデッキー行進曲」を聞きましょう。

 

Orchestral Edition (Complete)(52 CD Box Set)

Strauss, Johann II (1825-1899)