前衛の哀しみ シェーンベルク(モン)「チェロ協奏曲」 | 翡翠の千夜千曲

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  Arnold Schoenberg (after Monn) : Concerto for cello and orchestra (1932-33)

I. Allegro moderato II. Andante, alla Marcia III. Tempo di Minuetto. Performed by Fred Sherry (cello) and the Philharmonia Orchestra conducted by Robert Craft.

 

    

       Georg Matthias Monn Cello Concerto - Margarita Balanas

 

 

 

 

 

 アルノルト・シェーンベルク(Arnold Schönberg, 1874年 - 1951年)は、オーストリアの作曲家であり、指揮者で教育者でした。 調性音楽を脱し無調に入り、十二音技法を創始したことで知られています。後にアメリカに帰化してから1934年以降は、「アメリカの習慣を尊重して」Schoenbergという綴りを自分で使いました。そういうことからアメリカでは「アーノルド・ショーンバーグと呼ばれています。

 シェーンベルクの音楽について感想を求められると、12音音楽を始めた作曲家、何を聞いても同じ感じなどといった感想がかえってきます。ウソとは言いませんが、余りに短絡的なので、今日は編曲作品を聞いてみることにします。勿論、この曲以前に書かれた「清められた夜」でも良いのですが、この頃は後期ロマン派的な音楽作品であり、弦楽作品なので、管弦楽の方がこの人の音楽力や趣向と言ったものが理解できると考えました。更には、曲は違いますが、モンの作品そのものと並べることで響きがどのように変化するのかを聞いてみることにします。

 ゲオルク・マティアス・モン(Georg Matthias Monn、1717年4月9日ウィーン生まれ 1717年4月9日ウィーン - 1750年10月3日ウィーン)は、オーストリアの作曲家、オルガニスト、音楽教師であり、バロック時代から古典時代への移行期に活躍しました。
   ゲオルク・クリストフ・ワーゲンセイルとヨーゼフ・シュタルツァーと共に、モンはウィーンの先古典主義運動(「ウィーン・フォルクラッシク」)を結成し、その作曲家は今日では彼らの名前でしか知られていません。しかし、交響曲の二次主題の導入に成功したことは、約50年後に来る最初のウィーン学校(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト)にとって重要な存在でした。

 ドイツ版ウィキペディア

 別物と言うまで、現代的に変化を遂げているのが分かると思いますし、おしゃれですよね。34年にはアメリカに渡っていますのでその直前の作品と言うことになります。武満徹がタケミツトーンと呼ばれる音組織を編みだして多くの作品を書きましたが、やがて調性への回帰をすると言う様な事を書く人もいるのですが、武満の場合は同居しながらも場合によって使い分けていたと私は考えています。しかし、シェーンベルクの調性回帰はアメリカへ渡ったことが契機になっています。

 

 

 シェーンベルクの12音技法は、ベルクやウエ―ベルンなどによって一定の発展を遂げますが、やはり一般化されうるという欠点を持っています。無論、これは時代が要求した、或は生んだ産物といえるかもしれません。つまり、シェーンベルクがやらなくても、いずれは誰かがここへたどり着く経路をもって居たことになります。現に、ヨーゼフ・マティアス・ハウアーはこれを遡ること12年前に同じ方法を考えてはいたのです。(12音技法そのものの説明については長くなるので、リンクを辿ってください。)

 芸術は、新しいもの、新鮮なもの、他にないもの、心揺さぶられるもの、劇的なもの、表現は様々でしょうが、そうしたものを追求する姿勢から生まれてきます。湯川秀樹博士が、考えに考えた挙句に行きどまり、諦めかけた辺りに夢で中間子の存在を確信します。

 音楽は、新しい価値観や方法を生み出したとして論文を書いて発表すれば一段落という訳にはいきません。その理論なり方法で作品を生みだし、感動や美しさ、力強さと言ったものをを生み出すことが求められます。

 しかし、この時のシェーンベルクだけの理論だけでは、それを叶えながら長大な作品を描くことが不可能です。更に言えば、「いずれ私の音楽を口笛や鼻歌で歌う日が来るだろう」といった内容の呟きを残していますが、ついにその日はやってきませんでした。

 今日は、12音技法を否定するものではなく、シュエ―ンベルクの中に息づいていた後期ロマン派の憧れと陶酔を捨てきれない自分を垣間見せてくれる作品、移住後に書かれた「室内交響曲第2番」や「主題と変奏」等にも見ることができます。それは、哀しみと共に味わうべき作品かもしれません。

 

 

String Quartet Concerto, Cello Concerto, etc : Markl / MDR Symphony Orchestra, J.Moser(Vc)Diotima Quartet

Schoenberg, Arnold (1874-1951)