ベルリオーズ「幻想交響曲」ロマン派の音楽④ | 翡翠の千夜千曲

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             Berlioz : Symphonie Fantastique

L'Orchestre philharmonique de Radio France dirigé par Myung-Whun Chung interprète la "Symphonie fantastique" d'Hector Berlioz. Enregistré le 13 septembre 2013 à la Salle Pleyel (Paris).

00:00 - Début du concert 00:35 - 1er mouvement : Rêveries – Passions (Largo) 15:08 - 2ème mouvement : Un bal. Valse (Allegro non troppo) 22:09 - 3ème mouvement : Scène aux champs (Adagio) 39:53 - 4ème mouvement : Marche au supplice (Allegretto non troppo) 44:27 - 5ème mouvement : Songe d’une nuit de sabbat (Larghetto – Allegro)

 

 

 

 若い頃、「愛と恋はどう違うのだろう」と昔考えたことがありますが、結局は答えは見つかりませんでした。はっきりしていることは、相手や対象に見返りを求めないと言うことだけが唯一の共通点だという気がしています。

 「幻想交響曲」では、井上道義さんの演奏を紹介したかったのですが、ブロックがかかっていましたのでリンクを貼るだけにしました。今回は、チョン・ミョンフンです。

 さて、これまで多くの作曲家を紹介してきましたが、ことに音で聴く音楽史に関しては、この人物を削るには惜しいなと思いながら省略した人物が多くいます。今日はベルリオーズですが、同じ年に生まれたアダン(ジゼルを作曲)を削るには少しばかり躊躇しました。

 話を戻しましょう。この曲は、ある青年(ベルリオーズ)の失恋の物語で、原題は『ある芸術家の生涯の出来事、5部の幻想的交響曲』(Épisode de la vie d'un artiste, symphonie fantastique en cinq parties )というものです。交響曲とは言いながら、標題を持つことで純粋音楽ではなく、標題音楽であるとも言えます。それまでの、オーケスストラの編成を大きくしのぎ、色彩的で表現豊かな音楽を生み出しています。

 交響曲の幻想曲は、ロマン主義の真っ只中、エルナーニの戦いの年、1830年に初演されました。交響曲の厳密に古典的な枠組みを打ち砕いた最初の「プログラム音楽」は、その時代を先取りした傑作であり、リスト、ワーグナー、マーラーなどの多くのロマンチックな作曲家に影響を与えました。自伝的でありながら、女優ハリエット・スミソンへの愛を描いた空想的なナレーションでもあるこの作品は、さまざまな動きの中で執拗に戻ってくる「固定観念」を中心に展開しています。ゆっくりとした不確実な序文の後、固定されたアイデアが暴露され、最初のアレグロ楽章で展開されます。軽快で有名なワルツが第2楽章「A Ball」に響き渡り、必死のコーダで終わります。アダージョ・ド・ラ・スケーヌ・オ・シャンは、イギリスのオーボエ/ホルンデュオが田園風景を演出することから始まり、ベートーヴェンを彷彿とさせる一連の変奏曲が続きます。短命の拷問の行進は、主人公が愛する人を殺したと想像する恐怖のビジョンです。最後の楽章「安息日の夜の夢」は間違いなく音楽の革新において最も遠くに行くものであり、空虚に鳴り響く2つの鐘によるDies Iraeの発表は間違いなく最も恐ろしい一節です

 ベルリオーズ自身の失恋体験を告白することを意図した標題音楽である。各楽章に標題が付けられるとともに、1845年版のスコアでは演奏の際には作曲家自身によって解説されたプログラム・ノートを必ず配るようにと要請している(1855年版では、コンサートでの演奏であれば、各楽章の標題が示されていればプログラムは省略可能としている)。

幻想交響曲では、作曲者の恋愛対象(ベルリオーズが恋に落ち、後に結婚したアイルランドの女優ハリエット・スミスソン)を表す旋律が、楽曲のさまざまな場面において登場する。ベルリオーズはこの繰り返される旋律を「イデー・フィクス」(idée fixe、固定観念、固定楽想などと訳す場合もある)と呼んだ。これはワーグナーが後に用いたライトモティーフと根本的に同じ発想といえる[2]。「イデー・フィクス」は、曲中で変奏され変化していく。例えば第1楽章では、主人公が彼女を想っている場面で現れ、牧歌的であるのに対して、終楽章では魔女たちの饗宴の場面で現われ、「醜悪で、野卑で、グロテスクな舞踏」になり、E♭管クラリネットで甲高く演奏される。この主題は、1828年にローマ大賞のために作曲したカンタータ『エルミニー Herminie 』に登場している。

 楽器編成の特殊さばかりではなく、表現についても様々な注意事項や演奏上の奏法についての詳細な指示が書き込まれていて、それまでには無かった演奏効果が得られています。一部での賛否はあるものの、ロマン派における代表的な作品として認められ、演奏回数も相当数に上ります。 

 1844年の演奏では、第2楽章でコルネットのオブリガートが追加された。当時のコルネットの名手であるジャン=バティスト・アルバンのために書かれたと考えられており、現在でもこのパートが演奏されることがある。1855年に全面改訂された際には採用されていない。

 幻想交響曲は管弦楽法の面でも、コーラングレ、E♭管クラリネット、コルネット、オフィクレイド、複数のハープ(4)、鐘の交響曲への導入、コル・レーニョ奏法の使用、コーラングレ(イングリッシュホルン)と舞台裏のオーボエの対話、4台のティンパニによる雷鳴の表現など、先進的な点が多く、後世に影響を与えた。これは楽器が改良され、音量面や機構などで大きな向上がなされた結果である。例えば、ベートーヴェンの最晩年にようやく開発されたバルブ・システムによって、金管楽器でも半音階が容易に演奏可能となった。この進取性こそが、ベルリオーズを「近代管弦楽法の父」たらしめている所以でもある。

 例えば、ティンパニのマレットにしても通常の物から木、革張り、スポンジ(海綿)などを含め材質の異なるものを要求したりして、響きの多彩さを要求しています。こうしたことが、その後の作品にも大きく影響を与えています。

 弦楽器の数の指定は、ワーグナーを経てリヒャルト・シュトラウス、メシアンなどに見られる。複数のハープの指定は、ワーグナーの「ニーベルングの指環」で6台の指定がある他、マーラーやリヒャルト・シュトラウスは2声部で書くことが多いが出来るだけ倍にするようにと指定されていることもある。ブルックナー、メシアンやブーレーズの管弦楽曲でも3台のハープが指定されているものがある。

 <曲の構成>以下の引用は、1855年版の作曲家自身のプログラムに基づく翻訳である。

 病的な感受性と激しい想像力に富んだ若い音楽家が、恋の悩みによる絶望の発作からアヘンによる服毒自殺を図る。麻酔薬の量は、死に至らしめるには足りず、彼は重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見、その中で感覚、感情、記憶が、彼の病んだ脳の中に観念となって、そして音楽的な映像となって現われる。愛する人その人が、一つの旋律となって、そしてあたかも固定観念のように現われ、そこかしこに見出され、聞こえてくる。

第1楽章「夢、情熱」 (Rêveries, Passions)

 彼はまず、あの魂の病、あの情熱の熱病、あの憂鬱、あの喜びをわけもなく感じ、そして、彼が愛する彼女を見る。そして彼女が突然彼に呼び起こす火山のような愛情、胸を締めつけるような熱狂、発作的な嫉妬、優しい愛の回帰、厳かな慰み。

 ラルゴの序奏部とソナタ形式の主部からなる。急速な主部に入ると間もなく、フルートとヴァイオリンによって「イデー・フィクス」が奏される。ハ短調→ハ長調

第2楽章「舞踏会」 (Un bal)

 とある舞踏会の華やかなざわめきの中で、彼は再び愛する人に巡り会う。

フルートとオーボエによる「イデー・フィクス」の旋律が随所に現れるワルツの楽章である。最後はテンポを速めて華やかに終わる。複数のハープが華やかな色彩を添える。イ長調

第3楽章「野の風景」 (Scène aux champs)

 ある夏の夕べ、田園地帯で、彼は2人の羊飼いが「ランツ・デ・ヴァッシュ」(Ranz des vaches)を吹き交わしているのを聞く。牧歌の二重奏、その場の情景、風にやさしくそよぐ木々の軽やかなざわめき、少し前から彼に希望を抱かせてくれているいくつかの理由[主題]がすべて合わさり、彼の心に不慣れな平安をもたらし、彼の考えに明るくのどかな色合いを加える。しかし、彼女が再び現われ、彼の心は締めつけられ、辛い予感が彼を突き動かす。もしも、彼女に捨てられたら…… 1人の羊飼いがまた素朴な旋律を吹く。もう1人は、もはや答えない。日が沈む…… 遠くの雷鳴…… 孤独…… 静寂……

 羊飼いの吹く Ranz des vaches はアルプス地方の牧歌(牛追い歌。ロッシーニの『ウィリアム・テル』序曲の第3部参照)。コーラングレ(イングリッシュホルン)と舞台裏のオーボエによって演奏される。この楽章の主要旋律(20小節目からフルートと第1ヴァイオリンとで奏される)は、破棄するつもりだった自作『荘厳ミサ』のGratias agimus tibiや、未完の歌曲 Je vais donc quitter pour jamais, H6(ジャン=ピエール・クラリス・ド・フロリアンの詩による)でも使用されている。最後に、コーラングレによる牧歌が奏されると、4個のティンパニが遠くの雷鳴を奏し、静かに終わる。 ヘ長調

第4楽章「断頭台への行進」 (Marche au supplice)

 彼は夢の中で愛していた彼女を殺し、死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。行列は行進曲にあわせて前進し、その行進曲は時に暗く荒々しく、時に華やかに厳かになる。その中で鈍く重い足音に切れ目なく続くより騒々しい轟音。ついに、固定観念が再び一瞬現われるが、それはあたかも最後の愛の思いのように死の一撃によって遮られる。

 1845年版のプログラムでは、ここでアヘンを飲んで夢を見ることになっている。低弦、大太鼓、ホルンによって行進曲が開始される。「イデー・フィクス」は、最後にほんのわずか現れるが、全オーケストラによってかき消されてしまう。ト短調

第5楽章「魔女の夜宴の夢」 (Songe d'une nuit du Sabbat)

 彼はサバト(魔女の饗宴)に自分を見出す。彼の周りには亡霊、魔法使い、あらゆる種類の化け物からなるぞっとするような一団が、彼の葬儀のために集まっている。奇怪な音、うめき声、ケタケタ笑う声、遠くの叫び声に他の叫びが応えるようだ。愛する旋律が再び現われる。しかしそれはかつての気品とつつしみを失っている。もはや醜悪で、野卑で、グロテスクな舞踏の旋律に過ぎない。彼女がサバトにやってきたのだ…… 彼女の到着にあがる歓喜のわめき声…… 彼女が悪魔の大饗宴に加わる…… 弔鐘、滑稽な怒りの日のパロディ。サバトのロンド。サバトのロンドと怒りの日がいっしょくたに。

 「ワルプルギスの夜の夢」と訳される事もある。弦楽器による不気味な音型で始まる。「イデー・フィクス」は、変奏されてクラリネットで奏される。鐘が鳴り、グレゴリオ聖歌『怒りの日』(Dies Irae)がファゴットとオフィクレイドで奏される。弦楽器による急速なロンドとなり、フーガを交えながら、全管弦楽の咆哮のうちに圧倒的なクライマックスを築いて曲が閉じられる。また曲の終結部近くでは弓の木部で弦を叩くコル・レーニョ奏法が用いられている(弓を傷める可能性があるので高価な弓を使う奏者はそれを嫌い、スペアの安い弓をこの演奏で使うこともある)。ハ長調→ハ短調→ハ長調  以上ウィキペディアより引用

 貴方も、青春の熱を感じながら聴いてみてください。そこには、もう一人のあなたがいます。 

 

ベルリオーズ:幻想交響曲 / デュティーユ:メタボール

パリ・バスティーユ管弦楽団 (アーティスト, 演奏), & 2 more  Format: Audio CD