フルートの出番です166 ベーム「シューベルトの主題によるファンタジー」Op.21 | 翡翠の千夜千曲

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                            Boehm: Fantasy on a Theme from Schubert

Theobald Boehm (1794-1881) Brian Allred, flute Ellen Sommer, piano DMA Recital #3 April 6, 2017 Swarthout Recital Hall University of Kansas

 

         

                   36 ORIGINAL DANCES - OP 9 - D 365 - Schubert

 

 

 

 

 

 この原曲である「36の舞曲」はエステルハージ家に子供たちの音楽教師になった年である11818年~21年頃に書かれた作品です。つまり、先日取り上げた6番の交響曲6番が書かれたころの作品になります。シューベルトが彼らしい音楽の書法を見つけた頃とも言えます。
 ディアベリがシューベルトの作品を出版することに同意をし、話はまとまっていました。しかし、1821年の年の瀬にかけて、シューベルトはおよそ3年来の屈辱感と失望感を味わっていました。彼が書きたかったものはオペラでした。「アルフォンソとエストレラ」(D732)は受け入れられず、「フィエラブラス」(D796)も同様でした。「陰謀者」(D787)は題名が不適切とみなされ検閲で禁止されました。その上、劇付随音楽「ロザムンデ」(D797)は2夜で上演が打ち切られたのです。
 
 フルートを学んでおられる学生さんはご承知でしょうが、シューベルトの主題による変奏曲を書いたベームについて少しおさらいしておきます。
 テオバルト・ベーム(Theobald Böhm, 1794年 - 1881年)は、ドイツ人の発明家であり音楽家でした。従来のフルートの楽器としての性能を向上させた「ベーム式フルート」を完成させた立役者です。フルート奏者としても一流であり、バイエルン王国の宮廷音楽家として活躍しました。さらに、作曲家としても、フルートのための作品を残しています。
 

 

 テオバルトは1794年にバイエルン選帝侯国(後の王国、現バイエルン州)の首都ミュンヘンで産まれ、父から貴金属の加工法を学んだ。その技術を応用して木製のフルートを自作し、18歳の時にはオーケストラに入団できる程に上達し、21歳で宮廷管弦楽団の首席奏者となった。

1831年にロンドンで、チャールズ・ニコルソン(1795年 - 1837年)によるフルート演奏を聴いたことをきっかけにフルートの本格的な改良に着手し、翌年にいわゆる円錐ベーム式フルートを発表した。その後もフルートの材料として、熱帯産の硬い木材、銀、金、ニッケル、銅など様々な素材を試していった。さらにフルートの構造に関して、音孔の大きさや位置に関する検討も行った。

 50歳を過ぎてからミュンヘン大学にて音響学を学んだ後、今日のフルートとほぼ変わらない金属製のフルートを開発して1847年に特許を取得し、1851年にはロンドン万博にて一般公開された。

 1871年にはベーム式フルートの音響学的、技術的、芸術的な側面について解説した『"Die Flöte und das Flötenspiel"(フルートとフルート奏法)』を出版した。

 三上さんの解説にある通り、改良を加える前と後では違い、後半の作品には立体感が出てきています。操作の上での機能向上は、比べるべきもありませんが、現在の奏者は手にした時から既に優れた楽器を使うことができますから幸せです。

 

<演奏者>

 アルタス・アーティストのブライアン・オールレッドは、ソリストとして、オーケストラと共演し、室内楽奏者として様々なレパートリーを楽しんでいます。テキサス州で開催された2019年マーナ・W・ブラウン・アーティスト・コンクールで新たに委嘱された作品の1位と最優秀パフォーマンスを獲得し、イタリアのコルトーナで開催されたコルトーナ・セッションズ・フォー・ニュー・ミュージックのサウスカロライナ・フルート・ソサエティ・ヤング・アーティスト・コンペティションとコンテンポラリー・パフォーマンス・コンペティションでも最優秀賞を受賞しました。ブライアンはカーネギーホールのワイル・リサイタル・ホールでゴールデン・クラシック音楽賞の最優秀賞受賞者として演奏しました。また、アッパー・ミッドウェスト・フルート・アソシエーション・ヤング・アーティスト・コンクールの入賞者、バイロン・ヘスター・フルート・コンクールのファイナリストでもあります。2019年11月、ブライアンはスーシティ交響楽団のソリストとして出演し、カイヤ・サーリアホの『Aile du songe』を演奏した。ブライアンは現在、スーシティ交響楽団の首席フルート、アディティブカラーアンサンブルのフルート奏者、全米フルート協会のニューミュージック諮問委員会のメンバーを務めています。ウィスコンシン大学オークレア校でフルートと音楽理論を教えている。
 ブライアンはカンザス大学で音楽芸術の博士号を取得し、フルート大学院ティーチングアシスタントを務め、カンザスシティ交響楽団のマイケル・ゴードンとサラ・フリソフ博士に師事しました。イギリスのバーミンガム音楽院で音楽修士号を取得。バーミンガムでの研究と演奏に加えて、ブライアンはバロックフルートに興味を持ち、コルトン・ハイド古楽賞で一等賞を受賞しました。SUNYポツダムのクレーン音楽学校で学部在学中、ブライアンはニューヨーク北部オーケストラ、ノーザン・シンフォニック・ウィンズ、ニューヨーク市のエイブリー・フィッシャー・ホールでクレーン交響楽団と定期的に演奏しました。
 

ベーム、テオバルト/シューベルトの主題によるファンタジー OP.21

Boehm, Theobald FANTASIE UBER EIN SCHUBERT THEMA,OP.21

<解説>
 ベームの作品を見直してみると、彼の発明の進化と共に曲の転調の自在さが変わっていることがわかります。例えば、1831年に作曲された有名な 「グランド・ポロネーズ」 は、まだ旧式のキーの多い楽器を想定しているので、ヴィルトゥオーゾ風の難曲ではありますが、フルートに一番基本的なニ長調を中心として作曲されています。しかし、円錐ベーム式フルートを完成させた6年後の1838年に作曲された 「シューベルトの主題によるファンタジー」 では、序奏で変イ長調からロ長調、そし変ホ長調と移調を行ない、主題は変イ長調、中間の Adagio はホ長調と自在な転調ぶりです。ベームの作曲の発想に明らかに、従来のフルートでは不可能なことに挑戦しようとする野心が見られるのです。もともと、初版が出版された時、この曲のタイトルはベームの思い違いで 「ベートーヴェンの主題による」 となっていましたが、ベームにとっては、そのことは大きな問題ではなかったのでしょう(主題はシューベルトの ”Original Tanze” Op.9 D.365によるもの)。序奏はデリケートな味わいとスケールの大きさを持った音楽。主題は、場合によっては、繰り返しで音域を変えてもよいでしょう。変奏は、いずれもフルートの表現の鮮やかさを聴かせるものです。美しい Adagio を経て、終曲ロンド Allegretto では優雅な曲想ですが、息をつかせない展開で曲を閉じます。(解説/三上明子)