ラフマニノフ「ユースシンフォニー」ニ短調 | 翡翠の千夜千曲

翡翠の千夜千曲

音楽を学びたい若者で困難や悩みを抱えている人、情報を求めている人のための資料集

          

                Sergei Rachmaninov - "Youth" Symphony in D minor (1891)

 

 

   今日は、暖かな日が戻ってくると言う事で、午前中は事務的な用事を終えて一息ついたら曇って来てなにかはぐらかされた様な気分になっています。

 今日は、久々にラフマニノフについて書いたり聴いたりしていこうと思っています。若い人たちのオーケストラや若書きの作品を「ユース」と言ったりますが、今日はラフマニノフの「ユースシンフォニー」を聴こうと思います。

 これまで、幾つかラフマニノフの作品について書いてきましたが、生い立ちなどについては触れ来ませんでしたので今日は簡単に触れて行こうと思います。

 セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(Серге́й Васи́льевич Рахма́нинов、: Sergei Vasil'evich Rachmaninov、1873年は、ロシア帝国出身の作曲家でピアニスト、指揮者でした。

 父ヴァシーリイ・アルカージエヴィチと、母リュボーフィ・ペトローヴナの第3子としてノヴゴロド州セミョノヴォに生まれ、幼少期を同州オネグで過ごしました。父親は音楽の素養のある人物でしたが、受け継いだ領地を維持していくだけの経営の資質には欠けていたようで、セルゲイが生まれたころには一家はすでにかなり没落していたようです。ノヴゴロド近郊のオネグは豊かな自然に恵まれた地域で子ども時代を過ごした。

 4歳のとき、セルゲイの音楽の才能に気がついたことがきっかけで、彼のためにペテルブルクからピアノ教師としてアンナ・オルナーツカヤが呼び寄せられ、そのレッスンを受けています。  

 9歳のとき、ついに一家は破産し、ペテルブルクに移住します。セルゲイは音楽の才能を認められ、奨学金を得てペテルブルク音楽院の幼年クラスに入学することができました。

 しかし彼は、12歳のときにすべての学科の試験で落第してしまいます。悩んだ母は、セルゲイにとって従兄にあたるピアニストのアレクサンドル・ジロティに相談し、彼の勧めでセルゲイはモスクワ音楽院に転入し、ニコライ・ズヴェーレフの家に寄宿しながらピアノを学ぶことになります。

 モスクワ音楽院のピアノ科を成績優秀のため1年繰り上げで卒業したラフマニノフは引き続き作曲科に在籍し、卒業試験課題として交響曲とオペラの作曲を求められます。その結果生み出されたのが歌劇「アレコ」とこの「ユース・シンフォニー」です。1891年9月28日に完成していますが、もともと一楽章で終わらせるつもりだったのか、複数の楽章を予定していて完成できなかったのかは分かりません。

 序奏付きのソナタ形式。グラーヴェ、ニ短調、4分の4拍子の序奏で開始される。低弦の下降音形にホルンが応じ、間もなくヴァイオリンに緩やかに浮遊する旋律が現れる。低弦の対旋律と絡み合い、ティンパニのロールの上で歌いかわし、盛り上がってゆくとアレグロ、8分の6拍子の主部に突入する。弦楽器にリズミカルな力強い主題が現れる。チャイコフスキーの交響曲第4番第1楽章の第1主題を彷彿とさせる。この主題が一通り確保されるとヘ長調の牧歌的な第2主題がクラリネットに現れる。弦楽器に受け渡され、たっぷりと歌われてゆく。突如第1主題が響いて展開部となる。第2主題もさらに派手に響き、第1主題が激しい頂点をつくるといったん静まり、再現部となる。コーダではグラーヴェで金管にどっしりとした旋律が現れる。再び速度を元に戻し、弦楽器の舞曲的な動きに金管の下降音形がぶつかり、断ち切るようにニ短調主和音上に勢いよく曲を閉じる。ウィキペディア

 若書き乍ら、ラフマニノフらしい旋律やオーケストレーションの巧みさが伺えます。これまでの記事。

① ラフマニノフ「白鳥の歌」 | 翡翠の千夜千曲

② ラフマニノフ 幻想的小品集より「エレジー」 | 翡翠の千夜千曲

③ 希望音楽会 ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲 ...

④ ホルンの出番です 57 ラフマニノフ「ヴォカリーズ」を吹く ...

 

 

Sym.2, Youth Symphony: Waart / Netherland Radio.po

Rachmaninov, Sergei (1873-1943)